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安否確認 体験記

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地震直後は、携帯電話が役に立たない。
会社にいて自分も大きな揺れを感じているため揺れが収まるのを
待って電話をしたが電話が通じない。
みんな家族が心配で携帯を手にして連絡を試みるが繋がらない。

会社からも早期の帰宅連絡等なく定時の17時45分まで働いた。
この時点では電車も動いていないため、完全に帰宅難民になった。
かばんには災害帰宅マップを入れていたがページ数で5ページを
歩かなければならない。
所要時間が不明で、この日は寒かった。
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友人に声を掛けられ友人の自宅まで2時間歩いて泊めてもらった。
友人も60歳代後半の父母と連絡が取れず歩きながら気はあせっていた。
友人宅へ向かいながら自分も自宅へ電話したら偶然に繋がった。
細君に家は大丈夫か確認し、細君にもケガ等はないことを確認、結婚
しているこども達の無事も細君から確認できた。
このとき友人の携帯はソフトバンク、わたしはドコモ。
わたしは、2時間の間に自宅以外に成田で足止めされている息子とも
電話で話すことができた。
家族と携帯で話せたのは地震から4時間以上経過していた。
友人も自宅まで30分の地点で電話がつながり家族の安否が確認できた。
会社が神奈川だったから4時間後でもよかったが東北に住んでいたら
携帯とは役に立たないものだと思ってしまう。

地震の次の日、友人宅を電車が動いたことを確認し7時には後にした。
家に帰り、細君といろいろ話をして連絡がつかないひとがいるか確認
した。
宮城県の大河原町に住んでいる叔母ちゃんと電話が繋がらないので
安否が不明と言われた。
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家に帰ればパソコンがあり、ネット経由で情報を得ることができる。
幸いにわが町は停電もなかったのでネットは使用できた。
大河原町役場を検索してホームページを出したが情報無し。
宮城県全域が停電だった。
次にツイッターを試みた。
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検索画面に宮城県大河原町地震情報と入力。
画面には、大河原町に関係しているひとがたくさんつぶやいていた。
すべてのひとが地震情報が欲しいとつぶやいていた。
そんななかから大河原町在住のひとを見つけた。
見知らぬ他人ですがメールを入れた。
停電のため直ぐの回答は得られないかもしれないが一応地震情報を
下さいと依頼しておいた。(後日、連絡がきた)

息子達とは、ミクシーで連絡をとった。
嫁さんたちもミクシーを利用しているので安否確認が携帯が繋がらない
ときには利用できた。
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結婚した息子達は、埼玉や東京に住んでいるので連絡はとれた。

実家の山梨へも帰宅後、電話を入れた。
88歳になるお袋がひとりで家にいたため怖い思いをしたらしい。
それでも怖くて外に出たら近所のひとも外に出ていて話しができて安心
したといっていた。
実家のとなり町に住む妹に電話を入れて、当分の間お袋の面倒を見てと
電話で依頼した。

一応、地震に対する安否確認はこのようにして行った。

地震から3日目に大河原町の叔母さんの隣に住んでいる養女に電話を
したら繋がった。
叔母さんは無事かと確認したら無事だと確認できた。
叔母さんの電話が通じないのは、電話が壊れていたということだった。
安否確認を叔母さんにして通じないので養女に電話しても通じないと
思い込んでいたことも確認が遅れた原因になった。
被害はなかったが断水と停電でたいへんらしいが元気だった。
養女の家にも、ネットからはメールをしていたが停電では返事ができない
という確認がとれた。

地震から4日目。会社へ出勤である。
首都圏の電車は地震の影響でまともに動いていなかった。
朝は6時に起きて、会社へ行くことができるのかネットで電車の運行状況
などを確認し出勤したが大幅に遅刻した。
計画停電情報も、刻々変化するのでネット経由で情報を得て対応している。

計画停電情報は、毎日タイムリーに必要である。電車の運行情報を含む。
この情報は、フェイスブックから得ている。
現在、こちらから確認しなくてもページを開くと情報が来ている。
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これらのツールを利用できると、応用として現在不足している米や
乾電池などの情報も関西や四国、九州方面の米屋や町の電気屋へメールを
して送ってもらうことが可能である。

携帯がつながらないという事実は安否確認を携帯以外で行うことが必要で
あると確認できた。
地図と足で歩くことと、避難場所を予め家族で決めておくことが最低限必要
のような気がしている。



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