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読書を楽しむ「高田 郁 みをつくし料理帖 八朔の雪」

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女料理人澪の心太(ところてん)に纏わるお話

江戸は神田で上方料理を出す「つる家」の料理人澪が料理人に
なるまでの生い立ちと大阪と江戸の心太(ところてん)の食べ方に
ついての違いが物語になっている。

1802年大阪が暴風雨に見舞われ父親の伊助に背負われて逃げようと
したときに濁流に飲み込まれ父親を澪は失う。
澪はお腹が空いてものを盗もうとしたときに大阪の名料理店の女将に
助けられ奉公人になる。
実は、父親も伊助は漆塗りの職人で箸を納めていた。
このとき澪は8歳だった。
このとき澪は淡路屋の末娘野江と仲良しだったが離れ離れになった。
澪は奉公人から抜擢されて板場を担当することになったとき料理店が
貰い火で焼失した。
そして、江戸へ出て「つる屋」の料理人となった。
澪が板場に出られたのは料理店の味が変わったと主人が客に言われた
ときに「井戸の水の味が変わった」ためと言い当てたのが澪だった。

19歳になった澪は店の主人や医師の源斉と八朔の日に吉原見物に
きていた。
そこで澪は通行証を無くし番屋で詮議を受けたのを翁屋楼主の伝右衛門
と医師が知り合いで助けられ、ほかにも通行証を無くした老婆なども救われる。
老婆がお礼にと言って3人に心太をご馳走し大阪と江戸の心太の違いに
ついて談義が始まる。
心太は通常天草の煮汁を固めたものをいうが、江戸ではこれを寒中に凍らせ
陽に当てて乾燥させ寒天にして、寒天から心太を作っていた。
大阪で天草を煮汁で固めて磯の香りがするものが心太だった。
江戸では酢醤油、大阪では砂糖で食べていた。

八朔の雪とは、吉原の遊女たちが八月朔日に白無垢を着ている情景を残暑が
厳しい季節に雪を思わせるところからきている。
物語では、心太に唐三盆と呼ばれる砂糖を心太にかけたら雪のように映った
ことから八朔の雪ようだと言われた。

読んでいると江戸の風情が感じられて古き良き時代の良さが伝わってくる。
お料理が好きなひとにはおもしろいかも。

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