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読書を楽しむ「鷲田清一 濃霧の中の方向感覚」

CIMG8440.JPG                                 危機の時代、先の見えない時代において                                                 ほんとうに信じられる知性とはなにか?                                      それは、視界の悪い濃霧の中でも道を見失わずにいられる                               「方向感覚」のこと                                               この本には「生き物」として自己の小さき視線から世界の方向を見ることで、                               どう生の舵を切ってゆくかを模索する、そういうことが書かれている。                           先が見えないのではなく、ある未来が確実に来ることが分かっていながら、                               それにどう対処したものか、どこから手をつけたらいいのか、見当がつかないで                                いるのではないか?手をこまねいているのではなく、じぶんたちにほんとうに                                   可能なことを問いなおす、そういう作業がはじまろうとしている。                                    話しても分からないことはいっぱいあるが、「わかりあえないこと」からはじめ                                   ようとする姿勢が他者に通用しない時、一つの社会は壊れしまう。                                    社会のシステムに依存するのではなく「自衛」のネットワークを編んで、                                         国家が毀れても社会は存続するような制御可能な社会を再設計しなければならない。                       小さな規模での制御可能な暮らし方の模索。                               それはありあわせのものでやりくりするということ。                           停電のときには眼の不自由なひとが案内人になるようなこと。                      「これできる人、だれか知っている?」と尋ねると誰かが手上げるという                      情報交換で暮らせるようなこと。                                       自前で、じぶんたちでマネージできるような小さな規模で「納得のゆく暮らし」                    を模索する。                                             そこに見えてくることは、じぶんたちを「消費者」から「生活者」へと軸足を戻すこと。                                  いざという時、万が一社会のサービス・システムが破錠しても、どこからかだれかの手が                 すっと出てくる、そんな生活。                                                 昭和の時代には地域社会に相互扶助のしくみがあったが、時代の変化と共に税金や                            料金を支払って国や企業が提供するサービスへと仕組みが変わったため個人が                                  制御不能な社会システムでは大災害に遭遇した時、納得のゆく暮らしが                          できないことに気づいた。                                           だからどうするかということが書かれた本で、物事を知り、考えたり判断する能力を             学べと書いてある。                                         社会のことを学ぶためにはいい本だと思う。


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