読書を楽しむ「赤神諒 戦神」
死んで鬼となった母親から生まれた赤子は鬼の子だった 戦国時代ー九州6カ国を征した大友家には 戦神と呼ばれた戸次鑑連がいた 1572年天下に風雲を巻き起こしていたのは信玄と信長だった。 その信玄が死ぬまでに会ってみたいと言った武士の名は九州北部で戦神と 呼ばれた戸次鑑連だった。 1513年。 大友軍の総大将の戸次親家は、月見城での攻防戦で主君の子・五郎九郎を戦死させた。 大友家18代の当主・大友親治は親家の腹心・由布惟常の寝返りに怒り由布家出身の親家 の妻・お梅はその責を負って切腹し果てたが男の子を生んだ。 お梅は自らの命を断って、腹の子を生かした。子は戸次八幡丸と名付けられた。 1524年。親家は八幡丸に合戦を通じて会得した用兵、戦術、戦略の知識を伝授した。 八幡丸は3000の兵で5000人が立て籠もる城を攻めて一夜で落とした。 1534年。22歳のときに戦功を立て続けに挙げて、幼馴染で永年想い続けていた重臣 入田家の娘・お道と結ばれた。 1542年。お道が無駄遣いを始めるがそれは子が出来ないため離縁を目的とした行動だった。 1549年。夫婦は子に恵まれないまま37歳になった。 お道の異母兄が謀反を起こし大友家当主を殺害する。そんなときにお道は身籠る。 戦国という時代は君主が絶対であり現代では考えられない悲劇を生むが夫婦はお互いに あるべき姿を求めて事の解決に当った。 オシドリ夫婦が敵味方に分かれると言う戦国ならではの運命の物語だった。