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読書を楽しむ「小和田哲男 明智光秀・秀満」

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織田家重臣として活躍しながらも

主君信長への謀反を起こした戦国武将

明智光秀とその女婿秀満

明智光秀とはそもそも何者か?

明智光秀の成年については諸説ありで成年不詳となっている。出身地についても現在の岐阜県のどこかで諸説が分かれている。通説の出何処は1640年代に編纂された編者不明の「美濃国諸奮記」からきているが光秀の時代からするとだいぶあとの時代だった。明智光秀は誰の子かについては、現存する系図類からのものであり信用できないらしい。結局のところ、いつ生まれたのか、父親が誰なのかなど、基本的なことがわかっていない。

光秀が歴史に登場するのは越前の戦国大名朝倉義景に仕えていた頃かららしい。室町幕府13代将軍義輝が殺され、義輝の弟・義昭は大和を脱出して、のちのち越前に入国している。光秀と義昭が出会い、義昭を信長のもとへ連れて行く橋渡しを光秀がした。このことで光秀は信長と義昭の二人の主君に仕えたことになる。光秀は比叡山焼き討ちで信長の命に従い功績を上げ坂本城主となる。この後、義昭は信長に追放され室町幕府は滅亡する。明智光秀には謎が多い。本能寺の変も多くの研究者が研究対象としているが、いまだ日本史最大のミステリーになっている。明智秀満は、光秀の娘が嫁いだ荒木村重家が謀反を起こし実家に戻され秀満と再婚した人物。結局のところ著者の謎解きにつき合わされただけで諸説の域をでない。また別の光秀を読みたい。


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