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読書を楽しむ「北条裕子 美しい顏」

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震災五日間、情報も物資も届かなかった「忘れられた避難所」

自分で自分の面倒を見られるようになりなさいと言われ

私は私の中から出てくるものを待っていた

わたしの家は避難所の中の段ボールの家。高さ13メートルの津波に取り残されてしまったふたり。17歳の女子高校生サナエと7歳の弟ヒロノリ。サナエが11歳のときに父を失った。母親のキョウカは入院患者を連れ出そうとして、間に合わず波にさらわれた。サナエは避難した体育館でメディアに同じ話を1日3回数時間おきにしているうちに気づいた。彼らはサナエに痛みと希望、その相反するふたつのものを同時にテレビカメラに見せてもらうことに必死だった。ひとは感動したい生き物だ。どうしてもセンチメンタルなものに惹かれる。このことでサナエは自分を取り戻していく気持ちよさを感じ、優しい気持ちが満ちてくるのを感じ、安堵し美しい顔をしているだろうと思った。震災で母親を失った高校生が喪失から自力で立ち直っていこうとする物語。物語であるが内容は生々しく大きな災害の悲惨さが伝わる。そういう環境からひとは如何に脱出していくべきか母親の同級生が淡々と話す。元に戻りたくても、元というモノは存在しないから受け入れるしかない。それはあきらめであり、絶望しろってことだ。落語の世界でも「死神」という噺の中で人間には寿命があって、それが残っているうちは死ねないと、死ねないならば受け入れるしかない。

                                                                                     



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