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読書を楽しむ「倉知淳 豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ事件」

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昭和19年12月初旬

学徒出陣で飯塚勝男は

長野の松代にある陸軍特殊化学研究所に配属となった

屍体を研究所の実験室で発見したのは飯塚で

屍体とその周辺には豆腐がぶちまかれていた 

2ケ月前、飯塚に赤紙がきた。東京の青山の第一師団歩兵第一連対で甲種合格したのち、長野の松代にある科学研究所に連れてこられ伊ー十三號実験室に配属され、毎日自転車を漕いでいる。大学で自転車競技倶楽部に所属していたためらしい。実験室の部屋の真ん中には繭を半分に割ったような形状のものが置かれ、その中には自転車が1台据え付けられていた。このボート型実験機の上で自転車を漕ぐのが仕事だった。実験室は24時間体制で稼働し、3人の新兵が3交代制で自転車を漕いでいる。実験室の監督は痩身の老人の正木博士で実験棟の責任者は権田原大尉だった。この研究所を陸軍省の特務機関の刀根少佐が視察し、実験室での実験内容について質問した。博士は研究開発中の空間転位式爆撃装置ついて説明をした。説明が終わったときに影浦二等兵が飯塚の交代要員として実験室に現れた。博士が夜食用に豆腐を一丁丸ごと置いていった。飯塚は寝床のある休憩室へ戻り、同期の森二等兵に実験の正体の話をした。翌朝6時飯塚は影浦と交代するために実験室に入ったら自転車に乗っているはずの影浦の姿が見えず彼は窓際で倒れていた。後頭部には傷があり、出血もしていた。屍体の周囲には豆腐が散乱していた。どう見ても豆腐の角に頭をぶつけて死んだようにしか見えなかった。実験室は密室で屍体は死後数時間が経ってた。犯人は誰だ?


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