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読書を楽しむ「水無田気流 多様な社会はなぜ難しいか」

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日本では「ダイバーシティ」は難しい

このカタカナ語が邦訳の「多様性」と温度差がある点だ

作者の私見ではダイバーシティとは「多くの人たちのより良い協業を可能とする土台」だと考えられている。日本でダイバーシティというと「女性労働力活用」の側面から語られるらしい。職場における多様な人々ー障害者や外国人ーとの協業機会が乏しいため、実質的に「女性」を指している。少子高齢化で労働力が求められているが異なる文化的背景を持つ人々を日本社会は受け入れる覚悟がないため女性が対象となっている。

多様性を求める社会とは、多様な文化・社会的背景をもつ人々が、互いに尊重されることを目指す理念で、差異や偏見や差別の要因となる事態は廃して、教育や就業の機会均等が確保される必要がある、ということになっているが日本ではマネジメントに使用され人材活用の観点から論じられている。人としての当たり前の希望がダイバーシティには網羅されているが、私ができたので、あなたもできるはずと考えられては普通の女性は凍りついてしまう。そういう意味で「ダイバーシティ」という言葉は言葉だけが独り歩きしている気がする。本を読む限り、事前にやらなければならないことが多すぎてその整理もあやふやな中で日本にダイバーシティを実現するというのは難しい。ダイバーシティを論ずる前にまずは学ぶことが必要で、学んで失敗したことをひとつひとつ考えていかなければ誰にとっても生きやすい社会とは言えない。


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