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ケーブルTVで映画を楽しむ「永遠の門 ゴッホの見た未来」

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ゴッホの苦悩の半生

画家としてパリでは全く評価されていないフィンセント・ファン・ゴッホ。彼は、会ったばかりのゴーギャンの「南へ行け」というひと言で、南フランスのアルルへやって来る。「まだ見ぬ絵を描くために、新しい光を見つけたい」というゴッホの願いは、この地で春を迎えた時に叶えられた。行きつけのカフェのオーナーであるジヌー夫人に頼んで、“黄色い家”を紹介してもらったゴッホは、ゴーギャンの到来を待ちわびる。広大な畑をひたすら歩き、丘に登って太陽に近づき、画材を取り出すゴッホ。竹の枝で作ったペンの先から、たちまちゴッホだけの線が生まれていく。どこまでも続く風景に絶対的な美を見出したゴッホは、「永遠が見えるのは僕だけなんだろうか」と自身の胸に問いかける。風になびく麦の穂や沈みゆく太陽を見つめるゴッホの瞳は、不思議な輝きを放っていた。ある時、地元の人々とトラブルになったゴッホは、強制的に病院へ入れられる。駆け付けてくれた弟のテオにも、初めて特別なものが見えることを打ち明けるのだった。やがて一緒に暮らし始めたゴッホとゴーギャンは、“絵を描く”ことについて際限なく議論を交わす。自然を見て描くゴッホと、自分の頭の中に見えるものを描くゴーギャン。一瞬で真実を捉えようと素早く描くゴッホ、ゆっくりと降りてくるのを待つゴーギャン。屋外に美を探し求めるゴッホ、内面に深く潜るゴーギャン、すべては正反対だ。それでもゴッホは、「僕らの時代だ」と熱く語るゴーギャンに心酔し、ますます創作にのめり込むが、やがてゴーギャンが去って行くことは止められなかった。再び一人になり絶望したゴッホをこの世に繋ぎとめたのは、描き続ける情熱だけだった。相変わらず1枚の絵も売れない日々の中、ゴッホは神父にそっと語る。「未来の人々のために、神は私を画家にした――」もはや彼の眼差しに不安の影はなかった。晴れ晴れと穏やかなその瞳が最期に映したものとは――。(公式サイトストーリーより抜粋)

生きているときには世間に認められなかった画家。彼は彼にしか見えないものを、人々に見て欲しいと思っていた。ムービープラス


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