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読書を楽しむ「太田俊明 姥捨て山繁盛記」

024.JPG                                       昭和35年9月。                                                 山梨県北部の穂津盆地穂津村で山津波が発生し桝山太一は母と弟と妹を亡くした。                     家はワイナリーを営んでいたが父を残して、太一は村を出た。                                            平成8年12月太一は渋谷の不動産会社で働いていたところへ父の訃報が届く。                           大手家電メーカーに勤める西澤亮輔は59歳で                                         初期のアルツハイマー型認知症と診断され早期退職をした                              福祉関係の仕事をしている娘・由香に頼んで介護サービス付き                                     高齢者住宅を探し、山梨県穂津村の施設「シニアの郷」に入居した                      折しも穂津村では巨大なダムの建設計画が進行中だった                                       村の2/3は郷田家が土地を所有していた。                                             村にはダムの水没予定地が立ち入り禁止区域になっていた。                                      そこは「姥捨て村」と呼ばれていたが日本一のワインを造っている                                        ワイナリーがあった。60過ぎの独身男・桝山太一がオーナーだった。                                 そのワインを目当てにセレブたちが外車で訪れ店内は女性客で溢れていた。                                姥捨て村は自給自足の生活をしていた。                                            村にはワイナリーとジャム王国があり農家が2軒、果樹農家が1軒、林業2軒、                  酪農1軒で成り立っていた。                                                   西澤は妻を早くに亡くしていた。                                                  妻と西澤の夢は娘と3人でレストランを開くことだった。                                      シニアの郷の雰囲気は暗く、みんなでやる仕事はあるがやる気を掻き立てる                               ほどのものでもなく、西澤は老け込むばかりだった。                                      そこで西澤は姥捨て村で娘とテラスレストランを始めると宣言する。                   少子高齢化社会に突入し、全国に高齢者住宅ができ、よかれと思って                                          入居したものの生きがいを見いだせないままくたびれていた。                                  そういうときに自給自足の生活をしている一団がいて、ダムマネーに頼らずに                       ブランド力だけでひとの再生と村の再生を目指していた。                                 ひとはなにかをしていないとボケてしまうよと作者が言っているように聞こえる。


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