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読書を楽しむ「原田マハ 風神雷神 -上-」

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京都国立博物館研究員の望月彩は六歳の頃に

江戸初期の謎の絵師俵屋宗達に興味を抱き

その研究に取り組むことになった 

彩が企画した博物館主催の宗達の展覧会が開催され、その会場で彩はマカオ博物館の学芸員のレイモンド・ウォンから面会を希望され、見ていただきたいものがあり、見解を伺いたいと依頼される。そして、マカオへ彩は出かけた。レイモンドは3ケ月前にある男から絵画の鑑定を依頼された。その絵画は男の父親が聖ポール天守堂の発掘作業場から盗んだものでラテン語で「ユピテル、アイオロス」というふたりの神を描いた油絵だった。ユピテルは雷神、アイオロスは風神。レイモンドは彩にこの油絵の作者は誰かと聞いたが俵屋宗達ではないということだけ彩は答えた。絵以外にレイモンドは彩に黄ばんだ古い紙を見せた。紙には原マルティノという名が書かれていた。原マルティノは16世紀末にローマ教皇に謁見した天正遣欧使節団の4人のうちのひとりだった。さらにその古い紙をめくると楷書で俵屋宗達と書かれていた。

天正8年(1580年)12歳の原マルティノは剃髪式に臨んでセミナリオの門をくぐり寄宿舎で朝夕にミサを行い、聖書、ラテン語、音楽を学ぶことになった。両親もキリシタンだった。原マルティノはそこで西洋の絵・聖画も授業で学ぶことになった。この寄宿舎に入ってきた新人の生徒が野々村伊三郎宗達だった。彼は南蛮の絵の修業をするためにやってきた。歳は14歳で12歳のときに織田信長の御前で絵を披露して「宗達」という絵師の名を戴いた京都の扇屋の息子だった。宗達の父が息子の絵の修業先に選んだのが狩野一門という絵師の名門だった。狩野永徳は織田信長より「洛中洛外図」の作画を依頼され、助手に宗達がついて丸3ケ月を費やして屏風が完成した。そのご褒美として宗達は天正遣欧使節に同行して長崎からローマへ出航した。彼は信長からローマの洛中洛外図を描いて戻って来いという使命を受けた。風神雷神にまつわるお話は左様に奇想天外で本当のような話で大いに楽しめた。


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