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読書を楽しむ「斉藤詠一 クメールの瞳」

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神奈川県のとある海岸で平山北斗はキョクアジサシの撮影をしていた

鳥類学研究室の樫野星司教授より電話があり

「ちょっとわけがあって、君にいったん預けたいものがあるんだが、

頼まれてくれるかい」と言われた

話が見えない北斗に教授は「昔、片づけ下手の私に

君がアドバイスをくれた時のこと」と言い残し電話が切られた

1866年インドシナ半島のフランス領コーチシナ。フランス植民地帝国学術調査隊の隊員としてフランス海軍少尉ルイ・ドラボルトが派遣された。このときドラポルトは古い友人のフリエ・デンクール陸軍中尉と再会しデンクールから記念に骸骨の人形カラベラをお守りとしてプレゼントされた。ドラポルトもデンクールにカンボジアで見つけたクメール王朝の遺物のペンダントをプレゼントした。

1868年日本。フランス陸軍・日本派遣軍事顧問団としてデンクールは横浜港に到着した。彼は幕府の兵からなる「伝習隊」に訓練指導を行ったが、江戸幕府が江戸城を開城し伝習隊を含む幕府軍は朝敵となり宇都宮城に逃れたが城壁を破壊され日光へ退却した。伝習隊は会津まで退却し浄松寺で解散を命じられた。伝習隊の副官の神田栄之進はデンクールからあることを託されペンダントを預かった。デンクールは拳銃で自害した。

1944年東京。神田篤は上野駅で下車し、職場の東京帝室博物館へ入館した。篤の祖父・栄之進は真珠湾攻撃に直後に亡くなった。博物館ではクルメールの遺物と日本の美術品を交換する計画が立てられ、篤は遺物の受け入れと調査、研究を命じられたが本当の目的はクルメールの遺物の中に遠い場所の様子をいながらにして透視できる「カーラの瞳」という遺物を探していることを陸軍士官の兄から教えられる。篤はその遺物(ペンダント)を祖父から亡くなる直前に渡されていた。

1975年クメール共和国。アメリカ陸軍伍長ジェイク・ナカムラはロックウッド大佐の指揮下で南ベトナムに派遣されクメール領内のベトコンの偵察とクメールの遺物収集を行っていた。ナカムラはサイゴンでアメリカが日本を占領したときに日本軍の研究所で見つけた記録の中に遠隔操作できる遺物(ペンダント)のことが書かれていたことを知り、それを探す任務を命令されていた。国立博物館を捜索してナカムラはメキシコのカラベラという人形を見つけ、人形の服の下に紙片があり「1866年12月に我が友デンクールより受け取る。彼にはペンダントを渡した。ドラポルト」と書かれていた。

1994年アメリカ・ニューヨーク。陸軍基地でナカムラはロックウッド大佐にサイゴンに派遣されたときに探していた遺物は遺跡で見つからなかったことについて念のためにと聞かれたが見つからなかったと答えた。ロックウッドは超能力による遠隔透視プロジェクトに関わっていて、ペンダントを探していた。

現代の日本。樫野星司教授の通夜に北斗は友人の栗原と駆け付けた。ふたりは教授の教え子だった。教授は野外調査中に崖から転落する事故で亡くなったということだったが北斗は教授は危険な場所に近づかないことを徹底していたので不審に思った。教授の研究室でクッキー缶を教授の娘・夕子と栗原と見つけた北斗は、謎の数字が書かれたメッセージと、フランス人のドラポルトが所持していた骸骨の人形カラベラをみつける。これらは一体何を意味するのか? 教授は1995年から会津の浄松寺に出かけていたが教授のお墓は鎌倉にあった。真実を追う北斗たちを待ち受けていたのは、思いもよらない「秘宝」の争奪戦だった!

一気読みしたくなる展開で冒険小説としてはかなり面白かった。