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レンタルDVDで映画を楽しむ「HOKUSAI北斎」

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少年は砂浜に絵を描いていた

時代は徳川幕府が鎖国政策を実施していた頃

幕府の威厳が崩れる娯楽は、世の中を堕落させる害悪の対象として

絵師や戯作者、版元に厳しい弾圧がかけられていた

葛飾北斎の知られざる生涯

浮世絵版元蔦屋重三郎の店は害悪の対象とされ奉行所が押しかけ浮世絵が燃やされた。それでも重三郎は浮世絵に魅了され、吉原の一室で喜多川歌麿に女郎や花魁をモデルにして絵を描かせていた。喧嘩して破門になった若い絵師・勝川春朗は長屋で花の絵を描き、寺の境内で絵を売って暮らしていた。その春朗を重三郎が訪問し自分のところで働かないかと声をかけるが断られる。そのとき重三郎は小判を数枚春朗に気づかれないように置いていった。春朗は金を返すべく吉原に重三郎を訪ねると歌麿が花魁を描いていた。刺激され春朗も描いて版元へ持参するが受け入れてもらえなかった。重三郎の店に道楽で描いた絵が持ち込まれ全部を購入した。絵師の名は写楽。春朗は放浪の旅に出た。野山を歩き、海にも出た。目の前に富士の山があり砂浜に絵を描いた。春朗が旅から戻り重三郎を訪ねる。波の絵の下書きを見せる。そして、書きたいものを描いたと言う。春朗はたった一つの動かない星をイメージして名を北斎と改めた。重三郎は北斎に世界地図を見せ、絵を観るには言葉は関係ないと言ってこの世を去る。(壱の章)

北斎は弟子を数人持つようになり、結婚もした。戯作者・滝沢馬琴の挿絵を描くようになった。妖怪物の挿絵の依頼も来たが歌麿が捕らえられた。人が喜ぶ絵を描くとお上が喜ばない時代だった。北斎に子供が生まれ、子供が泣くと自分の顔に絵を描いた。(弐の章)

野中の一軒家に住む老人が北斎だった。妻を亡くし娘と弟子たちと暮らしていた。市井の風俗の乱れをお上が案じていた。お上の中に戯作者・柳亭種彦を名乗る若侍がいた。北斎は彼と気が合って仕事をしていた。市中を歩いているときに大風に人々が慌てふためく姿を下書きした帰り自宅で脳卒中で倒れる。震える手で絵筆を持つことができるようになるとひとりで杖を突いて不自由な体で旅に出た。道端の花を描いたり、山中から赤富士を見たりと旅の記録を絵にする。そして、富嶽三十六景が出来上がる。(参の章)

北斎は眼の中に言葉が見えるこいつを描きたいと言って大波の絵を描いた。ツタヤレンタルDVD


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