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読書を楽しむ「アビール・ムカジー 阿片窟の死」

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1921年12月21日から12月25日

英領カルカッタで事件が起きた

インド帝国警察の阿片中毒の英国人警部ウィンダムと

インド人部長刑事パネルジーが事件を追う

12/21阿片窟で朦朧としていたウィンダムは突然の警察のガサ入れに驚き逃げ出したときに廃墟のような荒れ果てた部屋で中国人に見える死体を発見した。両目をえぐられ腹を刺されていた。12/22ウィンダムは警視総監のタガートに呼ばれガンジー派の幹部ダースが自警団を扇動し不服従運動を英国皇太子の訪問に合わせ計画しているので釘を刺すように指示を受ける。インド人部長刑事パネルジーはダースが父親の友人であることから心配していた。ウィンダムは昨夜の阿片窟強制捜査がH機関が命じたことで、中国の裏社会の麻薬密売人を追っていたことを知るが死体が見つかったとは誰も言わなかった。12/23リシュラの町で殺人事件が発生した。死体には両方の目玉がなく胸の左右を刺されていたインド人女性フェルナンデスだった。バランクール陸軍病院に勤務する看護婦だった。病院長のマグァイア少佐を訪問するが少佐の補佐の看護婦のルーヴェルに確認してくれと言われたがルーヴェルからは有力な情報は得られなかった。そしてまた殺人事件が起きた。テラスハウスでイギリス人の科学者ダンロップが目をくりぬかれ、胸に2ケ所の刺し傷があった。ダンロップ夫人を尋ねた時に書斎の壁に軍関係者の一団が写っている集合写真をパネルジーが見つけた。写真にはバラクプール、1918年1月と記されフェルナンデスとダンロップが写っていた。ウィンダムは見つかっていない中国人の死体を見つけた場所へパネルジーと忍び込み、死体が中国人ではなくダンロップの書斎の写真に写っていた顔だと判明する。男は病院関係者だった。3件の連続殺人事件の真相を求めてふたりはバランクール陸軍病院向かう。なかなか読み応えのある内容で最後まで読むと戦時中病院で何かの研究をしていたことが事件の引き金になっていることが明らかになってくる。ここから先捜査は事件の真相を求めて12月25日までノンストップで続く。今の季節に適した読みものでした。



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