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読書を楽しむ「三津田信三 歩く亡者」

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瀬戸内の兜離浦の波鳥町の海沿いに

「亡者道」があった

水死した死者の亡霊のことを亡者と呼んでいた

日の暮れかけた逢魔が時に

ふらふらと海沿いの亡者道を

歩く姿が見られることがあった

大学生の瞳星愛は大学の図書館棟の地階にある「怪異民俗学研究室」訪問した。そこに変格探偵小説と怪奇幻想小説を書く作家で、怪異譚蒐集家で、素人探偵の顔を持つ興味深い男・刀城言耶がいるからだった。その日、刀城は不在で卒業生の天弓馬人が刀城先生の留守を預かっていた。愛は天弓に10歳の夏の体験談を語った。町の網元の鯨谷家に当主の甥っ子昭治が滞在をはじめた。都会で女性関係で問題を起こし、都会の実家に居られなくなり逃げてきたらしいという噂が流れていた。30代前半の優男だった。町に来て1ケ月で町の若い女性の間で浮名を流すようになった。漁師町の男たちは飲み屋に集まって女漁りをする昭治のことを締めんといかんと言っていた。その昭治が急に大人しくなり、家に籠るようになり、夕方になると散歩へ出た。彼は海岸線の細い道を夏でも外套を纏って、青白い顔をして歩いていたので、こどもたちは「亡者が歩きよる」と噂していた。地元の人びとはその細い道を昔から「亡者道」と呼んでいた。愛も黄昏時に帰宅を急いで禁じられているその道を歩き、昭治らしき人物とすれ違っていた。その夜、20時前に昭治の姿が見えないことで当主が駐在所に連絡した。駐在所の巡査が鯨谷家の周りを歩き回って見晴らし台に一足の靴が並べて置かれていた。翌日、崖下にある岩礁に引っかかった鱶に喰われたと思われる遺体の一部が見つかった。胴体しかなく、右足と左腕も発見されたが損傷が激しく指紋が採れない状態だった。町では他に行方の分からなくなった者がいないために昭治に間違いないと推定された。

愛が見た昭治は生者だったのか亡者だったのか。昭治の死の真相は?本を読んでのお楽しみ。怪異伝承ミステリーはすごい。


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