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読書を楽しむ「結城充孝 首斬りの妻」

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天明六年、その年の夏が終わる頃

渡部里久は三輪文三郎と

小石川で出会った

文三郎は斬首役の門下生だった

篠山藩江戸詰右筆の娘として生まれた里久(リク)は18歳になっていた。直心影流の一派である堀内道場に剣術の稽古に通っていた。その道場で二十歳ほどの細身の青年に出会った。一昨日から通い始めた男は、奥州湯長谷藩の者で名は三輪文三郎だった。里久は与力の向井重之助と稽古をした。その頃、江戸では辻斬りが出ていた。

千住の小塚原刑場で里久は三輪文三郎と出会い挨拶をしたら文三郎は三輪源五郎と名乗った。源五郎は斬首役の山田家の門下生で刑場で首切りの務めを済ませたところだった。文三郎は山田家の養子になり源五郎となった。源五郎が里久と別れたのち、雨が降り出し、源五郎は傘を持って後を追ったら、騒ぎが聞こえ、駆け付けると提灯が転がっていて、里久が倒れていた。辻斬りとおぼしき男も向う脛を断たれのたうち回っていた。里久は石地蔵に頭を打ち付け倒れていたのだった。山田家に担ぎ込まれ手当てを受けた里久は、そこで源五郎との縁談話があったが斬首役の家に嫁に出すことを親が反対して縁談を断ったという話を聞いた。屋敷に戻り父親に確認したら別に縁談があったのでと言われ、相手は与力の向井重之助だった。向井家は代々譜代席の身分で、山田家は牢人の身分だった。辻斬りは町人だった。農村に生まれ、凶作で人買いの手に渡り、江戸で丁稚になったが虫けらのように扱われ侍になりたがって辻斬りをしていた。源五郎は覚悟した町人から武士として死にたいと言われ首切りをした。里久は現場での重之助の対応と源五郎の対応を見て、父に「首切りの妻になりとうございます」と言った。

親が決めた縁談では本当の相手のことがわからない。相手が斬首役では世間体が悪いと親は考えるが、里久は重之助の剣には情けがなく、源五郎の剣には情けの気持ちがあったと看破していた。好きな男ができたら世界で一番あなたが好きだと言った女の物語。


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