2024年2月7日(水)食事が終われば誰かが後片付けをしなければならない
ちらかったものを片付けることをしないと
ふだんの生活には戻れない
誰かが片付けをしてくれるわけではない
地震が起きても、戦争が起きても、ひとが亡くなっても
雪が路面に散らかっていても
誰かが後片付けをしなけれなならない
ひとはそういう運命を背負って生きている
生活していれば、どこかで後片付けをしなければならないときがくる。でも気づかないひともいる。後片付けをしなくてもいいようにできれば、それが一番いいが戦争もテロも地震も予期せぬ時に起きる。
今朝はゴミ出しからはじまった。買い物をして、食事をすれば後始末のゴミが出る。朝ドラを観ながら朝食を細君と食べた。
\
久々に洗濯物を外干しして散歩しながら図書館へ予約本を受け取りに出かけた。
散歩の成果。家に戻り新聞を読んだらお昼になった。昼食はパンを細君が購入し食べた。
細君は午後は昼寝で過ごした。わたしは読書で過ごし、15時にふたりで買い物へ出た。読書は新宿ゴールデン街のバーのマスター小田健(オダケン)シリーズの最新作。
入浴すれば誰かが風呂掃除という後片づけをしなければならない。風呂場掃除をして、点眼して、晩酌して、夕食は唐揚げで食べ、みかんを食べた。夕食が終われば誰かが後片付けをしなければならない。
地震や戦争の後片付けは難しいが家の中のことであれば家人が分担してやるしかない。転寝しながら過ごし、風呂に入り、トマトジュースを飲んで、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。明日は自治会の会議がある。
能登地震の後片付けは大変だが誰かがやらなければならない。時間はかかるしスグに後片付けは終わらない。ひとつひとつ片付けていくしかない。