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読書を楽しむ「野間与太郎 北条義時」

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約800年前、日本の首都は京都にあり、天皇家を中心とした

貴族が政治を行っていた

東日本では東国の武士が鎌倉で政治の真似事をはじめた

1221年、京の朝廷軍と東国の幕府軍が激突

武家政権である鎌倉幕府のトップに北条義時がいた

北条義時は1163年伊豆の武士・北条時政の次男として生まれた。地方の武士たちは京都に出向き3年間都の警備にあたり、貴族の下で働く決まりになっていた。この時、朝廷のトップに立っていたのは後白河法皇と平清盛だった。平清盛は1159年朝廷内の権力闘争で源義朝を破り、義朝のこども頼朝は伊豆の小島に罪人として流されていて北条家が監視役をしていた。1177年頼朝と義時の姉・北条政子が結婚し北条家と頼朝の結びつきが日本の歴史を動かすことになるのだった。結婚から3年後、源頼朝は打倒平氏の兵を起こした。義時は頼朝に仕えて平氏を倒し、鎌倉幕府で活躍し、頼朝の死後、1221年5月鎌倉軍は京に向けて出発し、朝廷との争い・承久の乱に勝利し、武士が安心して暮らせる武士の世が完成する。義時は1224年62歳の生涯を閉じた。


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