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読書を楽しむ「漫画 君たちはどう生きる」

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1937年

ひとりの中学生とその叔父さんの物語

少年は学校で友人を裏切ってしまった

そのことを少年は叔父さんに話した

叔父さんからは1冊のノートが渡された

叔父さんは少年のことをコペル君と呼んだ。ノートにはコペル君が大きな苦しみを感じているのは、コペル君が正しい道へ向かおうとしているからだと書かれていた。叔父さんはコペル君が立派な人間になれるようにノートに書いたことを読ませて、自分を取り戻し、新たな一歩を踏み出し、自分で自分を決定することができるように導いていた。

叔父さんは会社が倒産した出版社の編集者だった。その叔父さんが潤一君の近所に越してきた。潤一君は叔父さんと外に出て近所を案内した。潤一くんはある発見をした。いま目に見えているものを拡大していくと物質は分子というものにたどりつくが、ひとの目では見えなかった。デパートの屋上から眺めた景色から遠くにいるひとは見えないが、世の中の大きな流れをつくっている一部であると発見した。この発見をした潤一君をコペルニクスの発見と同じくらいの大発見だと言って叔父さんは潤一君のことをコペル君と呼んだ。叔父さんのノートにはコペル君が広い世の中の一分子として自分を見たという発見を褒めていた。そこにはものの見方について書いていた。人間というものは、いつでも自分を中心にいろいろなものがあるという考え方をしている。その考えは自分に都合の良いことだけを見ているということであり、物事を判断してゆくときに、本当のことを知ることができなくなってしまう。本当のことというのは人の目にはうつらないということを教えた。それは分子がそうであるように人間も世の中の一分子にすぎないということだった。

叔父さんのノートからコペル君はいろいろなことを学んだ。心を動かされたことがあったり、感じたり、こころの底から思ったりしたことはゴマ化さずに、正直に考えなさい。言われたとおりに行動し、教えられた通りに生きていくのは一人前の人間になれない。いいこととわるいことをひとつひとつ判断できる人間になりなさい。

人間はどんな人だって、一人の人間として経験することには限りがある。だから自分の経験を人に伝えまとめたものが学問というもので、ここには今までの人類の経験が書かれている。だから人間は進歩し、まだ解くことができない問題を解こうと勉強している。ひとが生きていく上で、いろいろなものを探っていくと、数知れないひとがたくさん働いているが、その人たちは自分からは全く見ず知らずの人ばかりだ。そういう人々が世の中全体を支えている。多くの物を生産して世に送り出している人と、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、どっちが大切な人間か。

 叔父さんは自分の生き方を決定できるのは自分だけだと言っているがときとして誤りを犯すこともある。またときとして誤りから立ち直ることができる。コペル君はこういう考えで生きていくようになりました。この漫画を生き方の下手なひとは参考にすればいい。


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