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読書を楽しむ「ユッシ・エーズラ・オールスン 特捜部Q アサドの祈り OFFER2117」

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コペンハーゲン警察の特別捜査チーム“特捜部Q”

警部補カールのアシスタントアサドの物語

アサドは10年前に特捜部Qに現れたシリアからの亡命者だった。

アサドの父は技師で公務員だった。サダム・フセインを政権批判して、イラクを脱出して家族は、シリアに逃げた。そこでリリーが匿ってくれた。父がデンマークで働くことになるまでシリア南西部に住んでいた。その家族のすべてを救ってくれたリリーがキプロスの浜辺に難民として遺体が打ち上げられた。たまたま居合わせたジャーナリストが撮った写真が新聞に大きく掲載された。アサドは16年前に家族と無理やり引き裂かれていた。アサドの本名はザイード・アル=アサディだった。アサドがデンマークに来て10年後、憲兵隊の軍曹になった。両親の旧友をコペンハーゲンに訪ねた時にマルワを紹介され、結婚して3年間で二人の娘が生まれた。国防情報庁に入庁した。国連武器査察団のメンバーとしてイラクに送り込まれ大量破壊兵器の捜査をすることになった。妻のマルワもイラクの実家に戻って3人目を妊娠中だった。アサドはイラクは危険だとマルワを説得したが聞き入れなかった。そして武器監察官がフセインの秘密警察に逮捕された。監察官の救出を試みたがアサドは捕まり死刑判決を受けた。アサドは劇薬リン酸で拷問されたとき囚人が暴れ劇薬が拷問官ガーリブにかかり顔が焼けただれ変形したが殺さなかった。アサドは逃げることができたが、妻子はガーリブに捕まり16年間人質にされていた。

リリーは犠牲者2117番として扱われ、死因は事故死ではなく殺害されていた。新聞にアサドの妻と娘とガーリブが写っていた。ガーリブは16年間アサドへの復讐に囚われて、彼を探していた。ベルリンでガーリブによるテロが計画され、アサドの妻子が車いすに縛られ爆弾を巻いて、アサドを誘き出すエサにされた。

アサドは人質の妻子を取り戻すことができるのか?絶体絶命の状況下の手に汗握る物語の結末は本を読んでのお楽しみ。