SSブログ

読書を楽しむ「早瀬利之 午後の刺客」

CIMG2861.JPG                                  吉井英介は下級武士の家に生まれ3人の子供と妻と両親を養っていた                         このことを西郷が知り、薩摩藩の勘定方の仕事を紹介した                            やがて吉井一家は毎日白米が食べられるようになった                                五代商会の五代友厚が回船業務を切り離して独立会社にしたいと考えていた。                       この話が吉井に持ちかけられた。明治9年4月のことだった。                              明治10年6月5日の朝、大阪の船主吉井英介に「西郷軍、人吉を撤退」の悲報が入った。                        2月に薩摩藩同士の骨肉の争い西南戦争がはじまった。                            征韓論騒動で西郷と大久保は決裂し、西郷が下野し、密偵による西郷暗殺未遂が起き、                       その後の対応で私学校生徒たちが暴動に走り、これが西南戦争の引き金になっていた。              このとき薩摩出身の事業家、五代友厚の庇護を受けて吉井英介が蒸気船を預けられ、                          船主として西郷軍救援に尽力する。吉井は西郷軍に弾薬や食糧を届け続けた。                               9月に吉井は体調を崩し大阪で静養していた。                                   新政府は薩軍への協力者を断罪する通達を発行した。                                         五代は大久保と取引して吉井は処分を免れた。                                       吉井は神戸港の築港工事を担当することになったが船は取り上げられた。                                西郷軍は敗走に敗走を続け西郷は城山で戦死した。                          11月大阪港は政府軍の凱旋で賑わった。                                     翌年5月、吉井は五代と東京へ出かけ五代の別宅に泊まった。                      吉井は上野や浅草に出た。                                         世の中に不満を持っていると思われる旧士族を目にした。                             吉井は不満士族の中から信頼できる男を探していた。                             大久保邸前で男と鉢合わせになり、その男を小料理屋で見かけ声をかけた。                     男には連れが二人いた。吉井は「大久保の行動を知っている」と告げた。                    吉井は大阪の商人・住倉と名乗りポケットから新札の十円紙幣100枚の束を                    2つ渡した。                                            旧士族の男は「わしらに、何を」と聞いた。吉井は卓の上に「オオクボ」と書いた。            吉井は、五代の築地の別邸を訪れ、大久保と会う日を訪ねたら行事で忙しく                  会えないということだったが14日に宮中で陸海軍将校の勲章授与式があると聞いた。                            その夜、吉井は新橋の旅館に戻り、大久保の14日の予定をメモし女中に旧士族の男が              来たら渡してもらうよう手配した。この時、吉井は新政府の密偵に見張られていた。               翌日13日吉井は大阪へ定期船で戻る為に湯河原の温泉に投宿した。                   ひと風呂浴びて部屋に戻ると若い男が五代から封筒を預かってきましたと言って               吉井に近づき短刀で心臓を一突きした。                                  14日の朝、大久保は馬車に乗り赤坂御門を通りかかったときに6人の男たちに                 刀で斬りつけられ息絶えた。吉井英介が雇った刺客は見事にその役目を果たした。                権力の座についた男と無欲な男は同じ薩摩人であったが行きつくところは違った。                 無欲な男は改革の犠牲になった男の一家を助け、助けられた男は                     その恩を忘れずにいた。西郷という男はなんとも不器用な男だったと思う。


共通テーマ: