SSブログ

レンタルDVDで映画を楽しむ「北の桜守」

CIMG5768.JPGsakuramori.jpg                        広島に原爆が落とされた年にソ連軍の空襲があり                               家族はバラバラになってしまった

1945年5月、南樺太に住む江蓮(えづれ)家の庭に待望の桜が花開いた。                                     夫と息子たちと暮らす江蓮てつが大切に育てたその花は、やがて家族の約束となる。                              しかし8月、本土が終戦に向かう中、樺太にはソ連軍が迫っていた。                                        樺太に残る夫との再会を約束し、てつは二人の息子を連れて網走へと逃げ延びる。                                  時は流れ1971年、次男の修二郎はアメリカに渡って成功し、米国企業の日本社長                             として帰国する。                                                                    15年ぶりに網走へ母を訪ねると、そこには年老いたてつの姿があった。                               一人暮らしが心もとなく思えるその様子に、再び母と共に暮らす決意を固める修二郎。                                                    しかし想いあうがゆえに母子はすれ違いを重ね、立派になった修二郎に迷惑をかけたく                             ないと、てつは一人網走に戻ろうとする。                                                     母に寄り添いたいと願う修二郎は、二人で北海道の各地を巡り、共に過ごした記憶を                                   拾い集めるように旅を始める。                                                          再会を誓った家族への想い。                                                                   寒さと貧しさに耐え、懸命に生き抜いた親子の記憶。                                                   戦後の苦難を共にした懐かしく温かい人々との再会。                                                     幸せとは、記憶とは、そして親子とは。                                                         そして満開の桜の下で明かされる、衝撃の結末――                                          (公式サイト物語より抜粋)                                       南樺太の江蓮製材所では桜の花が咲いて、社員を含め全員で記念写真を撮った。                     父・江連徳次郎、母・テツ、長男・清太郎、次男・修二郎の幸せな4人家族がいた。                            ソ連軍の侵攻で内地へ避難することになり父は現地に残り、テツとふたりの息子は                          避難民となり逃げた。ソ連軍の空襲で避難民が多数死んだ。                          ようやく港に辿り着いた3人は内地への船に乗った。                           1971年札幌。修二郎はミネソタ24というコンビニの1号店をオープンした。                 修二郎には妻・真理がいた。                                     修二郎は網走で江連食堂を営む母を15年振りに訪ねた。                        食堂は寂びれテツは多少ボケていた。                                    修二郎はテツと暮らすようになるが妻の真理は同居に反対していた。                          やがてテツが八百屋でネギを手にして付けておいてと言って勝手の持ち去ろう                       として泥棒扱いされる。こんなことがあり翌日テツは姿を消す。                       修二郎は母を探しに駅に行くとホームに座っていた。                              テツは修二郎とふたりで北海道の各地で過ごした場所を訪ねてお礼したいといい                ふたりは旅へ出る。                                         テツは訪問した場所で修二郎に買ってもらったカメラで撮影をした。                      その昔、ふたりは南樺太を後にした後、大変な苦労をしていた。                     食べるものもなく盗んだり、いじめられたり、ヤミ米の仕事を手伝ったりした。                    網走で食堂を営んでいた時に夫がシベリアで亡くなったとの知らせを受け、                     遺品の石を受け取る。                                          ふたりは稚内港まで来た。                                           ここでテツは1945年8月22日未明に乗船した船が砲撃を受けて長男・清太郎                 ともども家族3人が海に流され、清太郎を助けられなかったことを思い出す。                テツは稚内の病院へ入院する。                                                そして、また姿を消す。                                           テツは雪が降るバス停の鏡に話しかけカメラで写真を撮り、そのまま雪の降る                  外に出る。                                                  テツの消息が不明のまま2年が過ぎてミネソタ24は100店舗を達成した。                    その昔、ヤミ米の仕事を世話していた男からテツの噂を聞く。                        テツは桜の木のある場所で桜守をして生きていた。                              亡くなった清太郎のために桜を育てていた。                                激動の時代を生きた母と息子の物語だが現代人には伝わり難い気がする。                  ツタヤレンタルDVD



共通テーマ:映画