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読書を楽しむ「三上 延 同潤会代官山アパートメント」

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そのアパートメントは代官山駅から近く、3階建てだった

六畳と四畳半二間の広さは新婚夫婦が住むにはちょうといい広さだった

夫の名は竹井光生、妻の名は八重  

八重は茅ケ崎で生まれ、両親は小間物屋を営んでいたが大正9年に相次いで腸チフスで他界した。店は八重が継いだ。八重が二十歳のときだった。八重は十代の頃親戚から縁談を持ち込まれ県庁に勤める若い役人と結婚したが半年で離縁した。八重には四つ年下の妹・愛子がいて貿易会社に勤める男と結婚することになり祝言の日取りも決まった時に関東大震災で妹を亡くした。妹の婚約者だった男が四年後の今八重の夫になった。

物語は、1927年からはじまって1997年まで子から子へとつながって八重が亡くなって物語は終了する。

十年後、夫婦には小学校三年になる恵子という娘がいた。時代は日中戦争がはじまった。この年に恵子へのクリスマスプレゼントが無くなるという事件が起きた。通りを挟んだ二階建ての棟に杉岡家が住んでいた。中学生の俊平と肺結核の妹ハナがいた。1947年、戦後。俊平は戦争でフィリピンで捕虜になり帰国した。1958年、恵子は杉岡俊平と結婚してふたりのこども浩太と進と四人で代官山のアパートに住んでいる。妹のハナは疎開先の伊豆で亡くなった。八重は娘夫婦が伊豆へ出かけたときに孫を預かったが孫の進の火遊びで部屋が火事になった。1968年には、孫の進がビートルズに夢中になった。杉岡家は八重と同じ棟に引っ越ししてきて一階と二階を所有した。進の友人に十年前まで同じ代官山アパートに住んでいた佐藤直也がいて、その佐藤家に下宿している大学生が上野厚子でビートルズのファンクラブに入っていた。厚子は進の兄・浩太の恋人だった。代官山のアパートで暮らす家族の物語はエピソードとともに子から子へと語り継がれていく。希薄になった現代の家族はどこで道を誤ったのかと思ってしまう。ひとはどんな風に生き、どんな家族を築いていけるのか、そして子から子へと繋いでいけるのか、読書で得られることはいろいろある。


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