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読書を楽しむ「鈴木輝一郎 光秀の選択」

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本能寺の変の10年前の物語

光秀が自分の人生をどう選択して生きてきたか? 

永禄11年(1568年)明智光秀は朝倉にとどまるべきか、織田にうつるべきか選択を迷っていた。このとき光秀は53歳の老齢だった。朝倉義景からの俸給は十分とは言えず「一発当てたいとか」「安定がほしいとか」「妻子と一緒に家庭でゆっくりしたいとか」「合戦場で血湧き肉躍る生活がしたいとか」選択肢を悩んでいたが妻・熙子は「人生の選択は、何かを捨てて何かを得るのではなく、すべてをとりなさい」と進言した。光秀が仕えてきた主君は行く先々で喧嘩をして光秀は巻き添えをくってきた。斎藤道三は斎藤義龍と、足利義輝は松永秀久・三好三人衆と、織田信長は朝倉義景と、足利義昭は織田信長と。光秀は長良川の合戦では一発逆転を狙って斎藤道三について敗北している。織田にうつり58歳で光秀は近江坂本城の城主になった。物語は足利義昭が織田信長に降伏した1573年までを描いている。光秀が織田を選択したことで比叡山も京都も焼き討ちにされたが、正しいと信じ選んだことであり、選んだ責任はとらないことだ妻・熙子にも言われた。本能寺の変の10年前、このとき光秀はまだ人生の選択のさなかにいた。いずれにしろこの男の人生は主君に振り回され続けて生きていくことになる運命にあったみたいだ。


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