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読書を楽しむ「エピクテトス 人生談義 [上] 」

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ローマ帝国時代を生きた奴隷出身の哲人エピクテトス

力の及ぶものと力の及ばないものがある。読み書きの能力とは、書かれた文字を識別できることであり、手紙を書くべきか書くべきでないかについては読み書きの能力では判断できない或いは教えてくれない。ひとはひとつのことに心を配り、ひとつのことに専念できるが、多くのことに心を配ると縛り付けられているため重苦しい気持ちに引きずられる。そして、いらいらすることになる。コロナでステイホームを強いられているが、これは自分の力が及ぶことで解決できる問題ではなく、力が及ばないため時間の流れに任せるしかない。力が及ばないのは無知があるからであり、必要なことについて学んでいないから自然の力に任せるのが理にかなっている。

自分の意思に反して行動することは牢獄にいるようなもの。

兄弟が仲直りできないということは突然に生じたことではなく、一房のぶどうを欲しいと誰かが言えば、時間が必要だとひとは答える。一房のぶどうは突然に短時間で実がなり食べられるものではない。兄弟が仲直りできないのも同じで短時間で解決できるものではない。

ひとがひとの意見に賛成するのはその通りだと感じるからであり、反対するのはその通りでないからであるが、時としてひとは腹を立てたりする。白と黒を識別する目だけでなく、善と悪を識別する心が盲目であるひとがいるからであり、そういうひとは刺激しないことだ。

心が盲目であるひとは自分の意思に対して吟味し、判別し、吟味されていないことは受け入れないことである。

自分の意思に基づく行為は力の及ぶものであるが、そのように区別するしかたを学ばなければ、力の及ばないこととなる。

ひとの行動の尺度は心に現れるものであるが、それが正しいものか間違ったものかだが、正しい場合には非難されることはないが、間違っている場合には非難されるということを心の留めてあれば腹を立てたりすることはないはずだ。

力が及ぶことがたくさんあるかないかそれば問題だ。なければ学ぶしかない。


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