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読書を楽しむ「真山 仁 そして、星の輝く夜がくる」

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地震が起きても、戦争があっても

星はいつも輝いている

人間のちっぽけさを感じた

阪神・淡路大震災で妻と娘を失った教師・小野寺徹平。東日本大震災によって被害を受けた東北三県から教師が足りないという要請を受け、神戸市教育委員会より遠間市立第一小学校へ派遣された。震災による学習の遅れをサポートすることと心のケアを担当することだった。学校の近くには廃棄物の集積場があり粉塵が子供たちに降り注いていた。6年生を受け持つことになり最初に作文を書かせた。内容は自己紹介と腹の立つことを書けと言った。作文には子供たちの声に出せない苦しみや辛さが書いてあった。小野寺は子供たちに腹の立つことや不満を「わがんね新聞」を発行して記事を書かせた。創刊号が完成し小野寺は檄文を書いた。「町は全然復興しないし、家にも帰れない、こんな生活はイヤだ。みんなもっと怒れ、泣け、大人たちにしっかりせんかいと言おう」。子供たちの我慢が子供の心身の成長を妨げるのを恐れた。保育園ではぜんそくや体調を訴える子供たちが増え、「わがんね新聞」で取り上げた。瓦礫から出る悪臭や粉塵が原因らしかった。

震災が原因で転校してきた児童は父親が東京電力福島第一原子力発電所に勤務していた。そのことで彼は”ゲンパツ”と呼ばれていた。児童は小野寺に原発について話し合いたいと言った。津波が来るまでは誰も原発を危険だとは言わなかった。電気がないと困るのに、どうして原発が悪になるのか知るべきだと訴えた。

遠間南小学校では逃げ遅れた児童一人と校長が犠牲になり女性教師の管理責任をマスコミが責めていた。

災害支援ボランティアと地元の人たちとの軋轢。

忘れないで東北というポスターで被災地と被災者を忘れないでと願う3人の母親。

震災をどう記憶にとどめるのか?遠間第一小学校の卒業制作は二宮金次郎がランドセルを背負い坂道を駆け上がる震災を忘れないための壁画の話。

六編の東日本大震災に関わる物語はリアルでした。


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