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読書を楽しむ「山田正紀 開城賭博」

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慶応4年勝海舟と西郷隆盛が

江戸城開城の諸条件を賭けて

チンチロリンで勝負したという話

勝海舟は明治32年に77歳で亡くなった。葬儀には会葬者が2000人を超えたと発表されている。その会葬者の中に新聞記者の梶山晋平が注意を引く人物を見つけた。男は全身から異様な気のようなものをみなぎらせていた。男の後をつけていくと男はそば屋へ入り晋平もそば屋へ入るとコソコソ後をつけていたことを咎められた。男は真垣十蔵と名乗り、賭場の用心棒をしていたときの慶応4年に勝海舟のお供を仰せつかって薩摩屋敷へ同行したと話した。

貧乏旗本屋敷の場末の賭場で真垣は公事の政五郎親分の用でソテツの兼松を捜していた。兼松は薩摩藩の水夫をしていて徳之島で大島三右衛門と知り合いだった。そして兼松が大島に教えたのがチンチロリンだった。兼松を親分に頼んで探していた男が勝海舟だった。真垣は勝海舟から頼まれチンチロリンを教示した。慶応4年の三月十四日、真垣は勝海舟と江戸薩摩屋敷に出向いた。西郷からの江戸城明け渡しの条件のうち2つだけは受け入れるわけにはいかなかった。そして、勝海舟は西郷にチンチロリンで決めることを提案した。西郷は徳之島では大島三右衛門と名乗っていた。そしてふたりの開城賭博がはじまった。この話信じる信じないは読者の勝手ということになる。


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