SSブログ

読書を楽しむ「山田慎也・土居 浩 無縁社会の葬儀と墓」

muen.jpg

1990年代から葬儀の小規模簡略化が進んでいる

コロナ過で更に家族葬や1日葬や散骨や樹木葬へと

急速に進んでいる

墓についても無縁化が進んで墓じまいが増えている

少子高齢化社会や格差社会が葬儀や墓について変化をもたらしている。先祖から子孫へと繋がれていたものが断絶されつつある。家族との関係性が核家族化で希薄になり頼りになる家族に頼れない世の中になってきている。地域とのつながりも年々希薄になり高齢者の孤立化を助長している。

人が亡くなった以降のことは、家族や子孫が担うべきとされてきたがどの墓に入るかは考え方が分かれている。先祖代々の墓という人もいれば、今の家族で一緒の墓に入るという人もいる。墓のない人はどうなるのか。墓があっても子孫が途切れたらどうするのか。民法897条では「一緒の墓に入れる人は6親等内の親族、配偶者、3親等内の姻族」が一般的。家族に頼れない人は誰に頼ればいいのか?家族関係が多様化する中で墓を継承することが不可能な時代になりつつあるが遺されたひとが死者と対峙する場所は必要な気がする。引き取り手のない故人にはなりたくない。納骨堂という便利な安置場所もできているが運営会社が倒産する例もあり永続性に懸念がある。継承者がいないことで墓じまいをしなければ無縁墓になる。生まれてから死ぬまで、死んだ後も継続性を保たなけらば祖先の証がこの世から消える。祖先と対峙できる場所も失う。それでいいという人もいるがかなり寂しい気がしてならない。家族やファミリーがうまくいっていればこんなことにはならない。


共通テーマ: