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読書を楽しむ「夏川草介 レッドゾーン」 

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長野県の片田舎にある病院「信濃山病院」の

臨床現場の過酷な現実の物語

それは、新型コロナウィルス感染症が

横浜にクルーズ船が入港して確認された

令和2年2月からはじまった

令和2年2月3日。横浜港に大型クルーズ船が着岸した。信濃山病院の内科医・日進は自宅のテレビで中国武漢を震源地とする正体不明の感染症のニュースに耳を傾けていた。47歳の日進の専門は肝臓で未知のウィルス性肺炎に向き合うような条件はどこにもなかった。ところが2/12院内で緊急会議が招集され、突然コロナ患者の受け入れが通達された。院長の南郷が「横浜近郊の病院は受け入れが満床になり、国から全国の感染症指定医療機関に受け入れ要請が発出された」と報告された。そしてA病棟の奥にある二つの大部屋が感染症病棟になった。80代のクルーズ船の患者が2/16に搬送されてきた。患者は元気だった。内科部長の三笠が主治医を引き受けた。感染力不明、治療薬なし、中国では死者多数くらいの情報しかなかった。院内の衝立にグリーンゾーンの張り紙が張られた。感染リスクのない領域という意味だった。イエローゾーンはウィルスの付着した防護服などを脱いで廃棄する領域。そしてコロナ患者が入院している領域が防護服なしでは立ち入りが禁止されたレッドゾーンだった。2/19東京へ出張していた32歳の男性が肺炎を発症した。58歳の男性が中国上海へ旅行に出かけ、長野の自宅に戻ってから発熱したが一般の病院で受け入れを拒否され信濃山病院へ搬送された。三笠はコロナ診療チームを発足させた。三笠と消化器内科の敷島と日進がメンバーだった。内科医は別にいたが高齢や若すぎるという理由で医療者側の安全確保のために3人が選ばれた。クルーズ船の感染者が174名になった時点で神奈川県内の病院では受け入れができない状態になり、原因は未知の感染症に対して一般病院が受け入れを拒否したためだった。信濃山病院の医師たちの2年と3ケ月のコロナ感染症に対する医療現場の過酷な現実を知ることができる。そして医師たちのこどもは父親に言う「コロナの人、助けなくていいの?」と。

病気で苦しむ人がいたとき、医師だから手を差し伸べるのではなく、人間だから手を差し伸べるのです。治療法のない感染症では医学は役に立ちません。これは誠実さの問題と何人も心得なければならないことです。そういうことを教えられた。


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