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ケーブルTVで映画を楽しむ「峠 最後のサムライ」

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幕末の日本

越後長岡藩の家老・河井継之助は明治維新政府側と

話し合いによる和平の道を模索し中立を目指していた

慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。(公式サイトストーリーより抜粋)

庶民の暮らしを守るために戦争を回避すべく奔走した継之助。そのためには己の恥も外聞も厭わなかったが長岡藩は否応なく戦火に巻き込まれていった。敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”からリーダーとしてのあるべき姿を学ぶことができた。長岡藩はフランスからガトリング銃を輸入し使用した。西軍にはイギリスがいた。幕末の日本は世界から植民地として狙われていた。戊辰戦争の裏には外国の思惑が見え隠れする。チャンネルNECO



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