2018.3.11(日)この世に生を受けたら、巻き込まれて死ぬことも考える
東日本大震災から7年が過ぎた 生きているひとが亡くなるケースは、何かに巻き込まれて亡くなる場合もあれば、病気で 亡くなる場合もあり、命が尽きて亡くなる場合もある。 どの場合でも残されたひとは悲しみにくれる。 日本人に生まれ、この国に住むということは時として自然災害に、時として交通事故に、 時として歴史から見ると戦争に巻き込まれることがどうしてもつきまとう。 巻き込まれることに対しては防ぎようがない。 それは事前予告がないためどうにもならない。 この世に生を受けたら、死ということに対して学ぶことが必要な気がする。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日曜日はのんびり起きる。雨戸を開けると天気はよい。 朝食をつくる。毎度おなじみのものしか出せない。 新聞を読んでから今日の予定を考える。 まずは散歩して、家に戻り、パラリンピックを見て、買い物へ行って、 大相撲春場所を見て、NHK大河を見て、読書をする。 散歩へ行った。大カンザクラが満開。 コンビニでおやつを購入しお茶した。 TVでパラリンピックを観た。 観てから買い物へ出て、冷凍食品を購入し、今日の昼と夜に食べることにした。 細君のために手抜きをした。昼食はタンメン。 午後は、途中から大相撲をTV観戦した。 18時まで観て、NHK大河ドラマを観てから、晩酌し夕食を食べた。 冷凍のチキンライスもうまかった。 食後は、ケーブルTVで今日の日に相応しい災害映画を観た。 風呂に入り、ポカリを飲んで、ブログの更新をして、ごきげんよう おやすみなさい。明日は図書館へ行かないと読む本がない。