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読書を楽しむ「津本 陽 巨眼の男 西郷隆盛 <三>」

hon002.JPG                                西郷は維新の大業をなしとげたあと                                        日本の政情が旧幕府時代と変わっていないことに                                          不満を持っていた                                                 明治十年二月、その日、薩摩に大雪が舞った。                                新政府の利権と政策をめぐる不毛な闘いに呆れ、やぶれた西郷は郷土薩摩に                               引きこもった。                                                           新しい明治の世は希望と矛盾、そして不平に満ちていた。                                  戦火は佐賀、熊本、秋月、萩で上がった。                                               かつての盟友、大久保利通は“火薬庫”を抱える薩摩へ密偵を送り、                                 潰しにかかった。                                                  (BOOKデータベースより抜粋)                                        西郷隆盛本の三冊目。                                                 征韓論に敗れ、岩倉や大久保の方針に不平を抱いたため西郷は下野した。                         西郷はこのとき天下を岩倉や大久保に預けておいて、彼らが手に負えない事態が                               起きれば政権は自分を求めると考えていた。                                               明治7年鹿児島県下に私学校が開設された。                                     明治9年に重大な騒乱が起きた。                                        廃刀令や金録公債証書発行条例が出され、士族の生活は根底からゆらぎはじめた。                                         和歌山で農民が租税の不当を訴え、以後、熊本神風連の乱、秋月の乱、                         萩の乱が続いた。鹿児島でも政府に租税を納めなかった。                                         士族は、政府の施策によって生活の窮乏を強いられていた。                              西郷は日本全国の士族から無欲の隠遁者として支持されていた。                           明治10年に私学校生徒による弾薬略奪事件が起き西郷はこのまま手を                   こまねいていれば私学校は解散させられてしまうと考え決起した。                           政府は鹿児島県暴徒追討令を発した。                                      西郷は官軍と戦うつもりは最初からなかった。                                      東上して政府首脳に政治の非を詰問しようとしていた。                              しかし、西南戦争がはじまり、田原坂の戦いは17日間にわたった。                    本を読む限り、戦争をする必要などなかったと思われるが疑われる者は                  悪者扱いされ潰される。                                       なにか新しいことをやろうとするときは、どうしても考え方が統一できない。                  結局、西郷は軍事には強かったが外交で力及ばず滅びの美学を選んで散って逝った。


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