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読書を楽しむ「赤神 諒 大友落月記」 

CIMG5454.JPG                                1555年、九州・豊後の戦国大名                                      大友家では国主の大友義鎮と宿老の田原宗亀が対立していた                               大友家では家紋の使用により同紋衆と他紋衆に区分されて300年を経過していた。                  同紋衆は外来で、他紋衆は土着だった。                                      義鎮、宋亀共に同紋衆だったが宋亀が家中で最大の勢力になっていた。                            義鎮派には田原民部と吉弘賀兵衛がいた。                                        宋亀派には他紋衆の小原鑑元がいた。                                    義鎮は好色で家臣の妻を見染て側室にした。                                   その夫は謀反を企てるまで追い詰められ抹殺された。                                        義鎮は4年前に自決した大名の末娘にも関心を寄せていた。                               大友の歴史は内紛を繰り返してきた。                                           対立は国主より一家臣が強大になりすぎ追放されたことにあった。                                 豊後は毛利からも狙われていた。                                        義鎮の好色は他紋衆の不満になっていた。                                       やがて小原鑑元に謀反の疑いが発生した。                                            鑑元は他紋衆の不満を一身に背負わされてしまった。                             このことで義鎮と宋亀は手を組んだ。                                   大友は真っ二つに割れ、大乱が起こる様相になってきた。                        戦は避けられるのか?                                        戦はしょせん人と人との殺し合いであり、そこにあるのは勝ち負けだけ。                  こういうことを作者は言いたいのではと思っている。


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