読書を楽しむ「赤神 諒 大友落月記」
1555年、九州・豊後の戦国大名 大友家では国主の大友義鎮と宿老の田原宗亀が対立していた 大友家では家紋の使用により同紋衆と他紋衆に区分されて300年を経過していた。 同紋衆は外来で、他紋衆は土着だった。 義鎮、宋亀共に同紋衆だったが宋亀が家中で最大の勢力になっていた。 義鎮派には田原民部と吉弘賀兵衛がいた。 宋亀派には他紋衆の小原鑑元がいた。 義鎮は好色で家臣の妻を見染て側室にした。 その夫は謀反を企てるまで追い詰められ抹殺された。 義鎮は4年前に自決した大名の末娘にも関心を寄せていた。 大友の歴史は内紛を繰り返してきた。 対立は国主より一家臣が強大になりすぎ追放されたことにあった。 豊後は毛利からも狙われていた。 義鎮の好色は他紋衆の不満になっていた。 やがて小原鑑元に謀反の疑いが発生した。 鑑元は他紋衆の不満を一身に背負わされてしまった。 このことで義鎮と宋亀は手を組んだ。 大友は真っ二つに割れ、大乱が起こる様相になってきた。 戦は避けられるのか? 戦はしょせん人と人との殺し合いであり、そこにあるのは勝ち負けだけ。 こういうことを作者は言いたいのではと思っている。