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読書を楽しむ「ウクライナ戦争日記」

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ウクライナという国の歴史は

これまでもさまざまな大国に支配されてきた

ソ連が崩壊したときにウクライナは独立したが

国内では親ロシア派と親欧米派が対立していた

そして2022年2月24日プーチン大統領が

ウクライナで軍事作戦を開始した

これまでの平和でにぎやかな生活は終わり

代わりに待ったく新しい現実がウクライナ人を

打ちのめした

24人が日記を書いた

ハルキウに住む41歳の女性は朝の5時にアパートの中からよくわからない音を聞いて目覚めた。そして10日間、アパートの地下室で何人かの近所のひとと一緒に過ごした。砲撃が激しくないときに200キロ離れた隣町へ車なしで向かった。友人の家で何日もなにもしなかったことに良心が痛んだ。友人の妻がマウリポリにいると聞いて迎えを頼まれ車を貸してもらった。マウリポリに向かう道には検問所がありロシア兵が車を調べ上げた。マウリポリで2人分の座席に5人が乗り道路わきに設置された地雷を見ながら脱出できた。家を失い、友人を失い、過去の生活も失ったがこの女性は失いかけていた自分自身を見つけた。

ハルキウの34歳の女性は2/24の5時10分ころ人生で一度も聞いた音のない恐ろしい音で目を覚ました。母と郊外の小さな村へ逃げたがそこもロシア軍の占領下にあった。電気もなく気温がマイナス20℃で食べ物の支給もなく極寒の家の中で過ごした。4/9女性は村を出てロシアに向かった。モスクワでボランティアに出会いエストニアへ向かい、ラトビアとポーランドを経由してウクライナに戻ったが両親は耐えられなくなってロシアへ向かった。

ハルキウの58歳の男性は2/23にウクライナの祖国防衛日のお祝いに参加し翌日にロシアがウクライナを攻撃するなんてことが起こるとは思いもしなかった。24日住んでいた場所からロケットが見え辺り一面火の海だった。妻は仕事で呼び出され家を出て行った。大統領が戦時体制が始まったと告げた。翌日、公共交通機関が止まった。ロシアは空軍基地を爆破した。みんなが体調を崩し薬局に長い行列ができ、スーパーは入店禁止になっていた。家族は防空壕へ向かった。男性はソ連で生まれ、親戚の半分はロシアにいる。ロシアにいるひとはロシアは軍事施設しか攻撃していないと信じていた。心の中ですべてが音を立てて崩れた。こんなふうに洗脳されてしまうのかと?

ハルキウでは多くの人が自宅に地下室を持っていないので地下鉄に逃げ込むことになった。駅は避難所として機能した。ひとびとはこの戦争で親密に交流する機会のない人たちと家族のように一団となり、手を差し伸べあい、支えあい、理解しあっている。

この日記にはハルキウ・スームィ・マリウポリ・メリトポリ・ヘルソン・キーウ・イルピン・リヴィウ・オデーサ・クラクフ・川崎・東京に住むウクライナ人の戦争を直接体験したひとの目と言葉を通して、戦争を見ることができます。

ある日突然、当たり前の日常が非日常に変わった。その時のために知りえる情報がたくさん含まれている。読んでおいて損はない。


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