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読書を楽しむ「近藤 誠 どうせ死ぬなら自宅がいい」

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病気に対する考え方を調べないと

医者のいいなりになり

本当にこれで良かったのかと思うことがある

コロナで病院で亡くなるひとや介護施設で亡くなるひとや病院のベッド亡くなるひとがいる。病院は治療する場所だから、入院すると延命処置される。これでは自然に死んでいくことはできない。ところが医者は延命しなければ余命は1時間ですとか言う。人生の最後くらい自分で決めたい。高齢になったら「今日を楽しんで、この瞬間を大切にしたいと思う」。高齢になり病院で診察を受けると「医学的見地」から高血圧だとかがんだとか診断される。それで精密検査を受けて手術へという流れが医学的な正解。そして入院したら病院ルールに縛られ不自由な生活を強いられる。そこで考えなければならないのがどこで死にたいか?人間は下半身の筋肉と脳が衰えたらお終いらしい。ところがこのふたつは鍛えることもできる。自然死は自分で食べられなくなり寝ている時間が長くなったら寿命と心得ればいいらしい。家族が無理やり食べさせたら虐待していることになる。だから点滴などしたら責め苦にしているということを知らなければならない。元気で過ごしているひとが健診で引っ掛かると患者と判定されるが寿命が延びるという証拠はないらしい。医療はビジネスであり患者がたくさんいないと経営が成り立たないということも事実。健診は健康の「予防」だというが、本当は患者を「呼ぼう」という意味もある。自然死を目指すなら患者になってはいけないという本でした。自覚症状がないなら血圧は年齢+110まで、薬で下げない方が長生きできる。手術や抗がん剤で進行がんの生存率は上がっていないことを知らなければいけない。だからどうせ死ぬなら自宅がいいということらしい。


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