読書を楽しむ「津本 陽 巨眼の男 西郷隆盛<二>」
長州征伐から大政奉還までが描かれている 蛤御門の変のあと、幕府は朝廷の長州追討令をうけ、西国二十一藩に征討の 支度をさせたが軍勢は容易に動かなかった。 西郷吉之助も長州藩を攻撃し滅亡させようと思っていたが勝安房から幕府の 腐敗を聞き、長州藩を存続させる方針に変わっていった。 吉之助は36歳で征長総督参謀になった。 長州では蛤御門の変に参謀として参加した者たちを斬罪にした。 長州藩主毛利父子もこの件に直接関係はなかったが幕府側では罪を問おうと していた。吉之助は暴臣が父子をたぶらかしたということにした。 幕命の通りに長州征伐をおこなえば、奇兵隊をはじめとする諸隊の反撃を受け、 意外な損害をこうむり、腐敗した幕府を思い上がらせるだけだと吉之助は 考えていた。幕府は長州再征を試みるが薩摩藩は出兵拒否する方針をとった。 吉之助が長州藩を庇護する立場になったのは幕府が西欧諸国との対応に何の 行動力も示さなかったことに失望し見限った。 歴史はここから薩長連合へと動き、衰亡に向かう国運を挽回するために雄藩が 連合して幕府を扶け、共和政治実現に向かった。 土佐藩の大政奉還策に賛意を示し、盟約を交わし、建白書を見た将軍・徳川慶喜が 大政奉還の上奏を朝廷に提出した。旧幕府勢力を武力で壊滅させた。 新政府は誕生したが朝廷の役人たちが過分の俸給を受け、広い屋敷で大名のような 暮らしをしているが職責を果たしていないことに腹を立て、陸軍大将参議として 6年間働いた後、鹿児島に閉居した。 西郷は幕末に軍事担当という位置で仕事をしたが、外交の担当は大久保に任せた ため、結果として本人が理想とした形には思った通りにならず、新政府の役職に 就いても理想としたことととのギャップがあり不満だけが残った。 西郷の理想と新政府の現実主義は相容れないもので、西郷の悲劇はこういう ところに起因している気がする。