ケーブルTVで映画を楽しむ「エディット・ピアフ 愛の讃歌」
愛を求め、愛に傷つき 愛を歌い続けた47年の人生 第一次世界大戦下のパリ。 エディット・ジョヴァンナ・ガションは、歌手を目指していた 母の元に生まれた。 母が路上で歌い日銭を稼ぐ貧しい暮らしだったが、祖母が経営 する娼館の娼婦から可愛がられて育つ。 兵役から道芸人の父が戻り、手伝いをするうちに自ら街に立ち 歌うように。 やがて、その天声の歌声が名門クラブのオーナーに見出された 彼女は、“小さい雀”ラ・モーム・ピアフの愛称で瞬く間に スターの階段を駆け上がるが…。 (シネフィルWOWOWあらすじより抜粋) 1915年にピアフは誕生した。 天性の歌声は幼少期から周囲の人々を驚かせていた。 その彼女をパリの名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレが目をつけた。 ピアフが20歳のときだった。 ルイがつけたピアフの舞台名が”ラ・モーム・ピアフ”。 殺人事件の容疑者、薬物中毒、交通事故など数々の困難に直面しながらも、 歌う事だけは生涯を通じて一度のやめなかった。 1963年10月に短い生涯を閉じた。 シネフィルWOWOW