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読書を楽しむ「若竹千佐子 おらおらでひとりいぐとも」

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74歳、ひとり暮らしの日高桃子さん

夫に死なれ、子どもとは疎遠

それでも歳を取るのは悪くないよという

「老いの境地」を描いた芥川賞受賞作品  

郊外の新興住宅に16年一緒に住んだ老犬が身罷って桃子さんはひとりになった。家の中の同居人はねずみだけになった。24歳の時に故郷を離れて50年が経過していた。桃子さんは字を書くことも箸の持ち方、姿勢の正し方も祖母から教わっていた。娘の直美は車で20分のところに中学校の美術教師と結婚して息子と娘の4人で暮らしている。娘は結婚と同時に家を離れ疎遠になっていた。電話が娘からある時は金の無心だったが返事をしなかった。桃子さんには大学を中退した息子・正司がいて音信不通になっていたが最近他県で就職して働いていると連絡があった。桃子さんは、10年前息子の名をかたるオレオレ詐欺で250万円を払ってしまった過去があった。

桃子さんは高校を卒業して農協に勤め、組合長さんの息子と縁談が持ち上がり結納まで進んだ後、夜汽車に揺られて故郷の町を離れた。桃子さんはああでもないこうでもないと考えることが一番好きなことだった。桃子さんは普段は理詰めで考えたいタイプの人間だった。自分はひとりだけどひとりではない。大勢の人間が自分の中に同居してさまざまに考えていることが桃子さんを気強くさせていた。故郷を離れ、上野駅で蕎麦屋の住み込みの店員募集の張り紙を見つけ夢中で働いた。店で客だった夫・周造と所帯を持ち、子供を産んで育て、子がひとり立ちして幸せに人生を31年過ごしたがある日突然夫は心筋梗塞で世を去った。桃子さんは自分で自分を扱えなくなるのが死ぬより怖いと思っていた。だからと言ってこれ以上の落ち込みを避けるべく、何とかせねばという気分が働いて必要なのは目的があることだと気づき亭主が眠る市営霊園までバスを使わずに手弁当で半日時間をかけて出かけた。亭主が亡くなってからこうあるべき、こうせねばという桃子さんの規範はどうでもいいものに思えてきた。亭主が亡くなり守るべき世界がなくなった。桃子さんは独りで生きてみたくなった。思い通りに自分の力で生きてみたかった。なかなか良い覚悟。こうあるべきだ。こう考えることは長生きの秘訣かもしれない。


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