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読書を楽しむ「ル・クレジオ 隔離の島」

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1891年、フランスからインド洋に浮かぶ島モーリシャス島へ

向かっていた客船にザンジバルから不法乗船したふたりの乗客に

天然痘の徴候がでていた

ヨーロッパ人旅行客とインド人移民を乗せた船は

モーリシャス島の北にあるプラト島に投錨し、乗客は上陸した

そして40日に及ぶ隔離が行われた

5/27一行はプラト島に上陸した。島にはインド人が住みついていた。移民は島の村に身を寄せ、ヨーロッパ人は島の反対側の隔離区域に泊まることになった。隔離所は6軒ほどの家屋で、家具はなく、明かりはローソクかランプだった。水はゴキブリや蚊の幼虫が生息している貯水槽の水だった。ジャックとシュザンヌ夫妻がモーリシャスを訪れる目的はインド人移民のための無料診療所で働くことだった。ジャックの弟レオンも一緒だった。

6/10インドから来た移民に天然痘が蔓延しはじめた。6/12レオンは島で母親と暮らす娘シュルヤと知り合う。6/15島で暴動が起こり、不法乗船し天然痘を発症したふたりが隣のガブリエル島に連れて行かれた。6/17隔離所の食料も20Kgの米と若干の干し魚が約1週間分となった。6/18島に外出禁止令が出された。6/19感染者はガブリエル島の収容所へ隔離された。島では死んだ人は火葬された。6/26沿岸警備船が食料の荷下ろしをした。6/27シュザンヌも天然痘を発症してガブリエル島へ行くことになり7/1に出発した。板小屋を与えられた。ロビンソン・クルーソーの気分になった。7/2ガブリエル島では各自2升のサイゴン米と1升のとうもろこしの粉と一合4勺の豆が配給された。日本をひとつの隔離された島に例えると食料品や医療品がなくなったときに大変なことになるということに気づかされる。島で感染症が広がったらお島いだ。


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