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読書を楽しむ「松浦寿輝 無月の譜」

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新進棋士奨励会の三段リーグに入ったものの

勝ち上がれずプロ棋士になることを断念した小磯竜介

竜介は大叔父が駒作りの職人だったことを知り

その人生に興味を持った

大叔父は第二次大戦末期に徴兵され

出征直前に作り上げた作品「無月の駒」を携行して

戦地シンガポールへ

この物語は将棋の歴史であり、将棋の駒の歴史の話である。竜介の大叔父・岳史は子供のいない遠縁の家に養子に貰われ小磯姓から関姓に変わり、将棋の駒を作る職人だった。そして竜介の関心は大叔父がどんな駒を作っていたか知りたくなり関岳史のルーツを追い求めた。長野県の上田が出身地で近所のひとの話では町内の鼻つまみ者で地元にいられなくなり上京して、どんな暮らしをしていたかわからないが最後に駒作りの職人に弟子入りして仕事をしていたらしいと教えられた。岳史の同級生からは食堂の看板娘といい仲になって娘さんを妊娠させてしまったと聞いた。また岳史は文学少年で勉強もでき習字もうまかったと知った。岳史は23歳から25歳まで駒作りをしていて駒師「玄火」を号にして書体は「無月」を将来の自分のために考えていた。岳史は日暮里に住んで駒作りをしていた。兄弟子は岳史から文字には霊の力があると語っていたと教えられた。岳史は自作の駒をお守り代わりに戦争に持参し、シンガポールの教会へ日本語を習うマレー人のために寄付した。

戦死した駒師の大叔父が遺した「無月の駒」を探し求めて、東京からシンガポール、マレーシア、アメリカのブルックリン将棋倶楽部へと竜介の旅は続く。人の一生とは無月のように月は見えないがそれはそこに在る。雲に隠れているが後ろには美しい満月が在るというようななにかではないか?というお話。将棋の駒の物語は普段お目にかかれない貴重なものような気がする。


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