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読書を楽しむ「刀祢館 正明 英語が出来ません」

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なぜ私たちの多くは英語ができないのかというお話

英語ができるの定義とはなにかという質問に対する答えは「英語が話せる」が一番多い。英語が使えるとはどういうことかという質問には「英語で学べる」「仕事に使える」「研究に役立つ」「文書が書ける」「電話ができる」「ネットで情報収集ができる」「海外旅行で不自由しない」など。文部省の学習指導要領では「英語でコミュニケーションができる」ことらしい。フィリピンでは大学の教科書がほとんで英語で、授業もレポートも英語だったからフィリピン人は英語がうまい。日本では大学レベルの教科書や参考図書の多くが日本語で読める。自分の母国の日本語が中心になっている。香港やポーランドでは英語が働く上で必要なものとなっていてできなければいい仕事に就けないが日本では日本語で就職ができ、日本語で仕事ができる。

なぜ私たちは英語が十分にできないのか。それは日本語で生活ができる「幸せな国の住民」だから。その原因は英語ができるようになりたいと本心から思っていないから。

自動翻訳が発達して言いたいこと、書きたいこと、伝えたいことを100%正確に翻訳してくれるようになったとしても機械では「自分の言いたいことを言う」ことが完璧にできないという弱みがある。

言語社会学者は、過度に英語に依存せず、節度を持って英語を使おうという発想と行動が大切だという。

英語は大事だが、ある段階まで身に着けて、ビジネスではプロの通訳が活用されている。

どうすればいいかというと「言いたいことをいかに簡単な英語で表現できるか」「自分が使える表現の範囲でどれだけ言えるか」を伸ばせばいいと書いてある。追いつめられるような英語は必要ない。英語で話せる冗談をひとつでも話せれば親しくなれて楽しくやれるということらしい。



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