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読書を楽しむ「曽野綾子 少し嫌われるくらいがちょうどいい」

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人間関係の難しさは

どのような知恵も

どのような教育でも

解決できるものではない

人は人によって救われ、人間を傷つけて生きている。他人が自分を理解しないことに馴れることで、相手を理解していないという自覚を持てば、その思いは理解しているという安心よりまさる。結婚すると私の家では「掃除をしてから本を読みなさい」と言われていたことが、嫁ぎ先では「本を読んでいて、夕食の仕度が間に合わなければ、パンをかじればいい」と言われる。民主主義というものは誰もがお互いの違いを守って、どうにか暮らそうとする苦悩に満ちた重い壮大な妥協が、民主主義の本質。自分勝手に人のことなど考えずに生きたいという人がいれば、砂漠か荒野へ行って一人で暮らすしかない。本当に強い人は他人に迷惑をかけない。戦いの強者が、近隣の国を武力で征服して、人々の上に君臨したという時代はもう終わった。頭がいいからといって仕事ができるわけではない。頭のいい人間だけが物が見えて、仕事ができて、出世するというような、単純すぎる図式から解放される必要がある。自分の生き方はしたいけど、頑張って生きたくないとき、どうしたらいいだろう。その第一は、人によく思われようと思うことをやめてしまうことである。自分の一生なのだから、自分の判断で、運命を試してみたい。死ぬときに自分が間違っていたと思うことも多いだろうが、そのときは馬鹿な奴だったと言って死ねばいい。楽に生きる道は、自ら義理を欠く人間になり、その代わり、他人にも寛大になればいい。道楽は初めから楽することではない。総ての道楽は(たとえば仕事をとってみても)苦労がないことはないのだが、その苦労を楽しみと感じられるように変質させ得るのが道楽なのである。誰かと一緒じゃないとだめだというひとがいる。その癖は早く辞めて、一人であらゆる不安や危険を押しのけて、やれる癖をつけるべきである。考えてみると世の中の重大なことはすべて一人でしなければならない。人を頼りにする人は成功しない人。斯様に人間関係は難しいので、心理の底に溜まった感情の捌け口を用意しなければ、所ならぬ所から溢れ出す。感情の捌け口をうまく作るか作らないかで私たちの精神が解放されるかどうかに結び付く。

自分の知らないものを教えられることを期待して読むとお楽しみは増える。そして益々好奇心の深みへとハマっていく。知らないから見たい、知りたい。本の世界は永遠に続く。


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