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読書を楽しむ「泉斜汀幕末探偵奇総譚集 百本杭の首無死体」

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旧幕府の与力をした男で、大正の今日まで生き残っている老人・隼の彌太吉は東洋のシャアロックホルムスまたは幕末の名探偵ホルムスと呼ばれていた 

この男に睨まれたら極悪人も恐れ入ったというくらいの人物だった。嘉永6年の霜月に隅田川の両国百本杭の渦の中から首のない死体が引き上げられた。背中から両腕内股にかけて那智の瀧荒行の刺青があった。徳川の終わりの嘉永という年は黒船が浦賀に来た時代で追剥夜盗の類が横行していた。嘉永5年9月の末に日本橋の豪商越後屋に7人組の強盗が押し入ったのを手始めに、この一団は江戸の金持ち町家を荒らし回った。年が明けた後、神田の百万長者上総屋が襲われた。彌太吉は手下の同心藤太郎と聞き込みをはじめ、藤太郎に盛場を担当させた。7人組の強盗が霜月の24日に質商伊勢屋に押し入ったときは6人だった。そんな時、藤太郎から吉原に遊びに来た若い男の情報を聞いた。男は馬丁仲間か町奴で兼吉と言った。花魁の桂木の客で背一面に刺青があったとという。彌太吉は日本橋の顔役相模屋を訪れ、江戸の馬丁で刺青をしている者について調べを依頼した。百本杭の惨殺死体が彌太吉の見込み通りだったかは読書をしてのお楽しみ。大正時代の大衆娯楽小説を堪能できました。