2023年7月26日(水)シングルイシューのこと
「シングルイシュー」とは
問題点や論点がひとつであることを指す
シングルイシュー政治とは、単一の争点をめぐる賛否の立場のみに基づき、他の要因をそれに従属させる形で政治勢力を形成していこうとする動き。シングルイシューがほかの問題点を覆うための隠れ蓑に使われてもわからないということを疑う。原発反対の裏に電力の供給をどうするのという問題があっても置いてきぼりになる。万人の気を引く都合の良い手法である気がする。
資源ごみを出してから、朝食をつくり、朝ドラを観ながら細君と食べる。
洗濯物を外干ししてから、新聞を読んで、MLBをBSで観戦した。
高校野球の神奈川県の決勝戦もTV観戦した。逆転の連続だった。慶応6-5横浜。細君は整形外科へ出かけた。
13時近くに昼食を購入し帰宅した。助六寿司を食べた。
14時近くに女子のワールドカップサッカーをBSで観戦した。コスタリカに2対0で勝った。
iPadでPrime Videoを観て、18時に細君と買い物へ出た。
家に戻り、風呂場の掃除をして、点眼して、晩酌して、夕食はのり弁を食べた。
転寝しながら過ごし、風呂に入り、レモン酢を飲んで、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。
夏には夏の飲み物があるが酒屋でなければ置いてない。明日はそれを探そうと思う。
72歳の妻の子宮体がんの記録
72歳の妻の子宮体がんの記録です
これまで大きな病気なしの元気印だった
2022年3月、閉経しているにもかかわらず
排尿時に少量の出血が毎日あった
おかしいと思いながら様子を見ていたが
状態が変わらず
町のかかりつけ医の内科と沁尿科を受診
膀胱炎と診断され薬を飲んだが出血が続き
8月、市民病院へ紹介状を書いてもらった
8月(8/3・8/4・8/15)に市民病院で3回の検査を受けた。
はじめての市民病院では、コロナ対策として事前の唾液によるウィルス検査があり、これにパスしないと入院できない。また、診察の都度、血液検査を行いこれにもパスしないと入院はできない。簡単には入院できないようになっていた。支払いは、診療明細を戴き支払いを行う。主治医からは受診案内票を受け取ることで次回の予約が確定する。
9月(9/16)にMRI検査の結果が出た。子宮体がんの疑い。
10月に入院し本格的検査がスタート。事前に受け取った「検査・治療・手術の同意書」に必要事項を記載し、病院へ持参する。入院の場合はパジャマ等の入院レンタルセット(パジャマ・バスタオル・フェイスタオル)の予約もした。病室にはTVもあるが観るためにはカードの購入が必要だった。夜は21時が消灯で、朝は6時が起床ではないが看護師の巡回がある。退院日に入院診療費の支払いがあった。幸いに高齢者であり2割負担だった。
10/4-5 子宮内膜全面掻爬術という子宮内膜の全面を掻き出して組織を採取し病名を調べるための手術を実施。
10/24に「子宮体がん」と診断された。悪性度は低く、進行度は術後に判明すると言われた。
11/28-12/2 入院し8時間の開腹手術を11/29に実施したが麻酔の影響で寒気を発症した。何が起きても病院の体制は万全で心配はなかった。リンパ節郭清(切除)もした。12/2に退院し手術は成功した。
12/13 術後の足のむくみがひどく病院へ出かけた。電話で予約を入れれば当日でも主治医が対応した。
12/22 術後の健診で進行度はステージ1B期、再発リスクは中と言われ、抗がん剤治療を勧められ、受けることを承諾し新年早々の入院日を確定した。1B期とは、がんが子宮の筋肉の層の1/2以上をいう。
2023年1/9-11 抗がん剤治療のTC療法を開始したが点滴の段階で副作用の過敏症(アレルギー反応)を起こし中止になった。身体に点滴よる異物が入ったことに反応したらしい。TC療法は3週間に1回抗がん剤治療を行うもので計6回実施の予定で最初の1回だけ入院し2回目以降は通院という療法だった。入院すると化学療法入院診療計画書を渡される。退院すると退院支援計画書を渡される。
主治医との相談でAP療法に抗がん剤治療が変更になった。3週間に1回2泊3日で入院し計6回抗がん剤治療を受ける方法に変更された。療法により抗がん薬が変わることを知った。
1/30-2/2にAP療法による抗がん剤治療1回目がスタートした。ひとりでは寂しいので4人部屋の病室のベッドで丸1日点滴。1日に1.5~2L、水分を摂取をしなければならずトイレが近くなった。今回はアレルギー反応を起こすこともなくうまくいった。退院した日の夕食は唐揚げ弁当が食べられるくらい元気だが翌日から抗がん剤の副作用の影響を受け、白血球の減少や赤血球の減少で疲れやすい状態や食欲不振、脱毛、爪の変色など戴いた冊子に書かれているような副作用が出て2週間は続いた。家では病人として過ごすのではなく、できることは自分でやった。疲れたらすぐに横になった。食べ物が喉を通らないときはおかゆを食べた。
身近にがんになったひとはいたがみなさん抗がん剤治療まではしていなかった。なんでわたしがと本人は思ったがどうしょうもない。副作用は事前に主治医から説明を受けていたが副作用が現れると本人はつらそうだ。ただ横になって休んでもらうしかない。
2/20-23に2回目のAP療法による抗がん剤治療。副作用は1回目と同じで脱毛が進んだ。
3/13-16に3回目のAP療法による抗がん剤治療。副作用は1回目と同じで脱毛が進んだ。
4/10-13に4回目のAP療法による抗がん剤治療。眉毛やまつげも脱毛がはじまった。突然赤血球の減少で貧血を起こし倒れた。
5/8-11に5回目のAP療法による抗がん剤治療。点滴の個所が傷ついて皮膚科で治療をした。突然赤血球の減少で貧血を起こし倒れた。
6/5-8に6回目のAP療法による抗がん剤治療。最終の抗がん剤治療。気持ちホットした。
6/29に朝食抜きでCT検査を受けた。
7/13にCT検査の結果報告を主治医から受けた。再発と転移が認められないと検査報告書に書かれていた。病気になったら必ず支える人がいないとひとりでは万が一のときに対応できない。
昨年の10月から家事全般は夫が担当。朝食・昼食・夕食・掃除・洗濯・買い物など。抗がん剤治療中に夫が外出するときは妻に横になって休んでいてもらった。夕食はおかずを購入し済ませていた。家では寝たきりにさせてはいけないということでできることはやってもらっていた。買い物も調子のよい時は散歩を兼ねて出かけた。これは主治医から運動をして下さいと言われていたための対応。
結果として入院した日数は38回。幸いに昔、がん保険に加入していたので抗がん剤治療終了後に入院給付金の請求をした。2割負担とは言え入院回数が多く、診療費をたくさん支払っていたので給付金が出ることは助かる。
今後は3ケ月に1回の定期検診を2年間行うと主治医から告げられた。
抗がん剤治療が終了して、まだ副作用が5つくらい治りきっていないが時間の経過とともに元に戻ると思っている。脱毛した髪も少しづつ生えてきている。美容院へ行くまでには年末までかかるかも知れない。今は帽子を被って頭をカバーしている。ファミリー(身内)には都度、病状を報告していたので早く食事会や旅行がしたいと言われている。
<参考>AP療法で使用した抗がん剤
・ドキソルビシンは、腫瘍細胞のDNAにくっつき、腫瘍細胞の増殖を止めたり、死滅させる作用を持つ薬。
・シスプラチンは白金を含む化合物で、腫瘍細胞のDNAにくっつき、腫瘍細胞の増殖を止めたり、死滅させる作用を持つ薬。
<参考>AP療法の副作用
・<腎機能障害>腎障害の予防には、たくさんの尿を出すこと。
・<吐き気や嘔吐>
・<便秘>予防には下剤を使用。最初の頃、苦しんだ。
・<口内炎>
・<味覚障害>
・<白血球減少>くすりを注射してから1から2週間目に白血球の数が減少し、3から4週間目で回復。細菌に 対する防御能が低下し、感染を起こす可能性。
・<血小板減少>出血しやすくなる。
・<赤血球の減少>めまいの症状がある。
・<脱毛>くすりを注射してから2から3週間過ぎた頃より、髪の毛が抜ける。
・<爪の変化>爪が変色したり、時にははがれるなどの変化がみられる。
<参考>気づいたこと
1)気になることがあれば主治医等のスタッフに相談してくださいと親切に言われていて、その通りだった。
2)4人部屋に入ったが必ず4人いるということではないことが分かった。また、いろいろなひとが病室にいる。騒々しいひとがいると寝られないので病室を変えてもらうこともOKだった。
3)病院の食事は食べられないことが抗がん剤の影響で多かったので食べれるものだけ食べ、病院内にあるコンビニを利用した。
4)ものの本には、抗がん剤治療を受けない人のことも書いてあるが、個人が決めるしかない。
5)本人曰く、悪く言えば1年間を無駄にしたと言っている。
6)7/13に再発と転移が認められないという検査結果を受けたことで、買い物にも出るし、夕食もつくるようになった。年齢が高いので体力は簡単には戻りそうもないが時間をかけてゆっくり戻すしかない。新聞のクイズも問題を解くようになり、日常生活もゆっくり戻りつつある。
7)子宮体がんは健康診断では見つからない。自分でおかしいと思ったらかかりつけ医に相談し、私立か公立の病院を紹介してもらい詳細な検査を受けなければ進行度もわからない。
8)重たいものを持つことは控えた方がよさそうで、洗濯物の外干しとか布団干しとか、朝食の準備とか、風呂場掃除とか、部屋の掃除機による掃除とか、ゴミ出しとかは夫が継続して担当している。買い物も散歩の代わりに一緒に出掛けるが重たいものは持たせられない。
9)人生は選択の連続で今回の病気についての選択が正しかったかどうかはまだわからない。医師はひとの命を救うことを使命にしているので病院へいけば、今回のようなことを勧められるが、日本の医師は自分の専門分野に特化した対応しかできず、患者の病気を患者の立場で総合的に考えて対応を決断しているわけではない。患者の立場で考えると年齢が高齢であることから抗がん剤治療をしてもしなくても、女性の平均寿命まで生きられたかも知れないと思うこともある。抗がん剤治療が終わったことで悪い細胞が消え100歳まで長生きできるというひともいるが、それはそれでどうしたものかと考えてしまう。
10)入院については「入院のご案内」という冊子を受け取り、それを読めば入院手続きから、入院について、面会について、医療費の支払いについてなどが記載されている。
◇個人の体験談であるが参考になればという思いでブログを作成した。