映画を楽しむ「イット・カムズ・アット・ナイト」
夜襲いに来る”それ”の感染から逃れるため
ある一家が森の奥深くにある一軒家に
外界との接触を断ち、ひっそりと暮らしていた
ある日、別の家族が助けを求めて転がり込んで来た
2組の家族の共同生活が始まったが
正体不明の”それ”が彼らを追い詰めていく・・・
森の奥深く。ある一家が夜にやってくる“それ”の感染に怯えながらひっそりと暮らしていた。家族は父ポール、母サラ、17歳の息子トラヴィスの3人。もはや人類は残り少ないのかもしれない世界で、ポールにとって外部はすべて脅威。家族以外の人間や世界のことは頭にない。自分の家族を守るという強い使命感によって生きていた。ある夜、一家の元に恐れていた来訪者がやってくる。感染者かと思われたその男はウィルと名乗り、妻キムと小さな息子アンドリューがいること、水を手に入れるために人気のなさそうなポールの家に侵入したことを打ち明けるのだった。一触即発の雰囲気の中、ウィルは自分たちには十分な食糧があるから水と交換をしてくれないか、と交渉を持ちかける。食糧が欲しいポールはその交渉をのみ、ウィルの指示のもと、80キロ先の廃屋に身を潜めるというウィルの家族のもとへと車を走らせるのだった。数日後、ポールがウィル一家を引き連れて帰ってきた。迎え入れられた新しい家族とともに、初めて一つのテーブルを囲んだ夜、ポールはこの家のルールを話し始める。それは夜来る“それ”の感染を防ぐために「夜、入口の赤いドアは常にロックする」こと。この決まりに従うことを条件に、彼らを受け入れることにしたのだ。父ポールの支配下で、家族だけの暮らしを続けてきたトラヴィスにとって、新しい家族、とりわけウィルの若い妻キムの存在はなかなか刺激的で、家の雰囲気も少しずつ変わっていった。交流が増えるにつれ、互いに心を開き、上手く回り始めたかに見えた集団生活だったが、ある夜、赤いドアが開け放たれていたことが発覚。誰かが感染したことを疑うも、今度はポール一家の犬が何者かによる外傷を負って発見され、さらにはある人物が不可解な発言を口走る…“それ”の正体とは一体何なのか?疑心暗鬼に陥った彼らは、予想だにしない結末へと突き進んでいく― 。(公式サイトストーリーより)
”それ”の侵入を防ぐためには「夜、入口の赤いドアを常にロックすること」。2つの家族がお互いに猜疑心を募らせていく心理スリラー。コロナ自粛しているときに観たのでなんとなく怖かった。ムーブ―プラス
2020.6.10(水)できないことをできるようにするために
まだまだコロナウイルスの感染が治まらず
同じ神奈川にいても中華街へは行けない
行くとなるとひとりではないため
メンバーがおしゃべり好きのため3つの密も気になる
各人ができないことをできるようにするためには、それぞれが考えなければならない。待っていても答えは出ない。こういうことをこの3ケ月で学んだ。当面、息子たちと飲み会をやりたい、毎年恒例の3夫婦旅行がしたい、お袋のいる老健を訪問したい、映画を映画館で観たいと思っている。映画館は新作がお流れになっていて夏休みにならないと観られそうもない。旅行はクーポンのこともあり様子を見るしかない。お袋のいる老健訪問も電車に乗らなければならないのと神奈川県の感染者が治まらなければ県外へ出られない。飲み会は気分転換にやりたいが東京はまだまだ万が一のことがあり様子を見るしかない。結局のところ今月は様子を見るしかないということになりそうだ。高校野球も形を変えて甲子園でできるようになった。できないこともできるようになる証しでなにか方法が見つかるはずだ。
水曜日はゴミ出しをしてから朝食をつくり、朝ドラを観ながら食べる。新聞を読んでから散歩へ出た。
りんごの代わりにプルーンをヨーグルトに入れた。
家に戻り抹茶クロワッサンでお茶した。細君と買い物へ出た。
昼食は近所のパン屋で菓子パンを購入し食べた。
サスペンスドラマを観ながら午後を過ごした。屋形舟の女1と2を観た。
数独も2問解いた。
晩酌は細君が発泡酒でわたしがワインで、夕食はカレーライスを食べた。BSで京都の仏像の番組を観ながら転寝して、起きたら22時半を過ぎていた。
風呂に入り、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。
読書を楽しむ「長谷川和夫 ボクはやっと認知症のことがわかった」
自らが認知症になった専門医が
伝えたい認知症になってわかったこと
認知症は記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能が低下することで普通の日常生活に支障をきたすこと。脳の神経細胞と、神経細胞同士のつながりが働かなくなってしまうこと。神経細胞はネットワークでつながっていて言語等の様々な情報を伝達している。それが阻害されると機能が低下する。ご飯を食べたのに、ご飯を食べさせろというのは記憶障害によってそれを覚えていることができないところからきている。認知症の本質は「いままでの暮らしができなくなること」。だから重要なのは周囲がそのことに対して自分勝手な都合を押し付けるのではなく、その人の立場に立って、さりげなく手を差し伸べてあげること。
<認知症になってわかったこと>
認知症は固定されたものでなく変動している。一日の中で調子のよい時と悪い時があるということ。
何かを決めるときには、認知症のひとも一緒に仲間に入れないと本人は置いてきぼりにされたと思ってしまう。
自分の時間を認知症のひとに差し上げるという余裕がないと本人の意見を聞くことはできない。
認知症のひとは同時にいくつものことを理解することが苦手ですが得意分野のことはできるので頼んでやってもらったら褒めること。
認知症のひとと接するときは笑いをわすれないこと。
認知症の診断を受けさせるときに本人を騙してはいけない、普通に接すること。
この本はこれから夫婦のどちらかが認知症になったときに役立つ。