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ケーブルTVで映画を楽しむ「大停電の夜に」

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12/24午後5時過ぎ首都圏全域が 大規模な停電に見舞われた

ジャズバーのマスターは今夜で閉店すると昔の恋人に連絡し かつての恋を待っていた。 サラリーマンの佐伯は、妻と恋人の間で揺れていた。 佐伯の妻は暗い部屋で離婚を考え、秘めた思いに迷っていた。 地下鉄に閉じ込められたヤクザな男は、失った愛に向かっていた。 ヤクザな男の愛人は妊婦で陣痛が始まり結婚という幸せを感じていた。 ホテルのエレベーターに閉じ込められた女は、上司との一つの恋に別れを告げていた。 エレベーターに閉じ込められたホテルの研修生は、上海の恋人を想っていた。 天体マニアの少年は、謎の人工衛星を見つけていた。 モデルの女は乳がんで生きることに迷っていた。 少年は病院の屋上から飛び降りようとしている女を見つける。 キャンドルショップの女店主は、売れ残ったローソクをジャズバーへ持参し 幸せの明かりを灯していた。 サラリーマンの佐伯の父親は、病院のベッドで息子にある告白をしようとしていた。 秘密を抱えた老婦人は、夫にある告白をしようとしていた。 老婦人の夫は、愛する人の真実を知ろうとしていた。 (チラシより一部抜粋)

停電の夜に起こる様々な物語の結末は、映画を観てのお楽しみ。 J:COMTV

2021.12.24(金)イヴの日は補修と掃除

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前期高齢者夫婦でも家の補修や掃除はしなければならない

来週大掃除もどきをする予定だったが最強寒波が来ると

いうので今日一部の掃除をした

朝食をつくり朝ドラを観ながら細君と食べる。南風のせいで気持ち暖かい。新聞を読んでから台所のフエンスの補修をした。接着剤が剥がれ針金でとめた。ミニメロンパンでお茶した。

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2階建ての1階の掃除を13時半までした。慣れないことをしたので体のあちこちが筋肉痛になった。

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細君は美容院へ髪をカットに出かけて買い物をして帰宅した。日曜日に予約を入れていたが最強寒波を心配して変えてもらった。昼食はかつ丼を食べた。食後は昼寝をした。

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ツタヤからレンタルDVDが届いた。

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イチゴのお歳暮が届いた。

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18時にドミノピザにピザを受け取りに出かけた。クリスマスイヴはワインとウィスキーとピザとサラダとあまおう。

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食後はTVを観ながら過して、転寝して、22時過ぎに風呂に入り、ブログの更新をしてごきげんようおやすみなさい。12/23時点の実効再生産数は1,29で感染は拡大している。地元の感染者は2名で70代女性が中等症。

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2階のお掃除をして、28日に縁起物を飾れば今年やるべきことは終了。あとはのんびりすればいい。

読書を楽しむ「原田マハ リボルバー」

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ゴッホはオランダ人、ゴーギャンはフランス人

ふたりは19世紀末の後期印象派の画家

個性的な絵を描こうとする二人の絵は

先を行き過ぎて世の中が追いついていかなかった

ゴッホは画商をしていた弟のテオに支えられていたが

心身を病みピストル自殺をしてしまう

ゴーギャンは一時ゴッホと南仏で共同制作を試みたが

意見の食い違いで訣別しタヒチで孤独な生涯を閉じる

中学2年生の高遠冴の自室にはおばあちゃんに買ってもらった「ひまわり」の絵が飾ってあった。絵の作者がゴッホと言う画家だと知ったのは中学生になってからだった。パリ大学で美術史の修士号を与えられパリ8区にある小規模のオークション会社「CDC」に就職したのは5年前の32歳の時だった。冴はパリ大学時代に知り合った小坂莉子という友人がいて彼女の父はアートディラーで世界中に顧客を持っていた。莉子は世界最大手のオークション会社「サザビーズ」に就職していた。CDCはオークション専用会場を借りて2週間に一度、セールをしていた。どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかりを扱っていた。オークションが終了した会場で女性が佇んでいて声を掛けたらみていただきたいものがあると紙袋の中から出てきたものは錆びついた一丁の拳銃。リボルバーだった。女性はサラと名乗り画家で、母も画家だったとつぶやいた。冴はCDCのタブロー(絵画)の専門家で19世紀のフランス絵画が専門だった。サラはリボルバーがゴッホが自殺を図った時に、自分を自分で撃ったピストルだと言った。ゴッホは1890年7月27日パリ近郊の小村でピストル自殺を図り、自分の足で下宿先の食堂に戻り、2日後に息絶えた。サラは2016年開催のアムステルダムのゴッホ美術館での展覧会で展示されたものだと説明した。冴も30年以上前に下宿先の食堂の壁に錆びついた拳銃が飾ってあったらしいことは知っていた。CDCの社長は会社が経営危機に直面しているといい、冴は社長からリボルバーがゴッホの自殺に関りがあるものだと証明することで会社を救うことができると言われた。会社の命運は冴の両肩にのしかかった。本当のところゴッホの死はどうだったの?知りたい人は本を読んでのお楽しみ。