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読書を楽しむ「楡周平 ヘルメースの審判」

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世界有数の総合電気機器メーカー・ニシハマ

明治15年に創業し、連結従業員15万人

東証一部上場で、ニューヨーク市場にも上場していた

原子力発電事業も基幹事業のひとつだった

創業以来肥後家が権力を3代に渡り継承してきたが

3代目社長肥後茂樹が就任し3年目のときに

家電製品の発火による火災が相次ぎ死者が出た

同族経営による恐怖政治がマスコミに叩かれ

肥後一族はニシハマから排除された

一度でも不祥事を起こし汚点がつけば

出世は望めない企業体質だった 

梶原賢太の父親はニシハマ・ノース・アメリカ(NNA)に駐在員として勤務していたが自動車事故に遭遇して母親と一緒に亡くなった。当時、ニシハマの副社長だった肥後茂樹が賢太の父と公私共に付き合いがあり手を差し伸べ、彼はハーバード大学を無事卒業できた。賢太はニシハマに入社して4年後にNNAへ駐在員として勤務した後、日本に戻り本社勤務を10年して、二度目のNNAへ勤務を命じられ4年が経過し副社長に昇格した。肥後家の孫娘の美咲との縁談が決まったのは1990年だった。世界最大級の統合金融機関ホフマン・ブラザーズのパートナーのグラハムはハーバード大のルームメイトだった。その彼が賢太にニシハマの妙な噂を耳にしたと言った。ニシハマがアメリカ大手原発会社のインフィニティ・エナジー(IE)の買収についてIEはアメリカ国内に三基の原発を建設中だがコストオーバーランを起こしているというグラハムの調査部門の結果報告だった。IE買収はニシハマの本社のエネルギー部門の担当で賢太はタッチしていないと彼に言ったが嘘をついていた。三基の原発の工期が、度重なる設計変更で遅れ、収益モデルを根底から覆す事態に直面していた。物部武雄は経済産業省の官僚で宗像淳平が総理大臣の時の首相秘書官を務めていた。賢太が面識を持ったのは2年前でニューヨークで日本企業主催のパーティで立ち話をした男だった。彼が大学教授の名刺を持参して賢太を訪問した。ニシハマのIE買収には経済産業省の意向が働いていること。岡谷という官僚がニシハマの薮川社長とは大学の同期で親交があったこと。IEは英国資本の企業だったが事故が発生した場合に負うリスクを嫌ったこと。アメリカでは安価な天然ガスの採掘技術が進歩していることを話した後で原発を稼働しても電力の買い手がつかないかもしれないと話した。物部にニシハマの情報が洩れているのは宗像政権が本人の健康上の理由で1年半しか持たなかったため、また政権に返り咲くために後押ししていたことを明かす。物部がアメリカへ来たのはUAEのオタイバに会うのが目的だった。オタイバは投資会社の経営者だったが裏の顔はアラブのエネルギー利権を仕切るフィクサーだった。そして、物部はUAE政府が天然ガスを欲しがっていると話し驚くべき計画を話し始める。この物語はこれだけの話では終わらない最後に待っているのはニシハマの未来。既得権益層が牛耳る学閥だけが出世の階段を上ることができ、自ら変わる意思のない組織になってしまっていた。失敗が許されないため決算書にまで手をつけてしまったニシハマ。日本の大企業は過去の成功体験にしがみついているため従来の社風を見直し新しい血や制度を導入できなくしている。大企業に警鐘を鳴らす物語としてはおもしろかった。

ヘルメースとはギリシャ神話に出てくる旅人、商人の守護神のこと。


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