SSブログ

読書を楽しむ「逢坂冬馬 同志少女よ、敵を撃て」

DSC03085.JPG

2022年本屋大賞受賞本

これは1924年生まれの少女セラフィマが

母を殺され、遺体を焼かれたことで

復讐を誓い、一流の狙撃兵になり

戦争から学び取った命の意味の物語

それは、敵を撃つ技術でも

戦場での究極の心理でも

拷問の耐え方でも

敵との駆け引きでもなく

失った命は元に戻らず

代わりの命も存在しないという事実だった

1942年5月18歳になったセラフィマは狩りの名手になっていた。彼女は母親を含めた40人の村人とイワノフスカヤ村に住んでいた。この村にドイツ兵が現れてパルチザンがいるという情報を得たと言って居場所を言えと村人に迫った。村人がパルチザンなどいないというと銃を乱射され、銃剣で滅多刺しにされ、母親も殺された。セラフィマも銃を突きつけれれたときに赤軍の兵士がドイツ兵を襲撃し一命をとりとめ赤軍の女兵士から「戦いたいか、死にたいか」と聞かれ「死にたい」と言った。女兵士はガソリンを母親にかけて遺体を燃やした。同じことを聞かれ「殺す」と答えた。母親はドイツの狙撃兵イェーガーに殺されてことを知らされ、殺す相手を知った。女兵士は焦土作戦開始と言って村の家屋と遺体にガソリンをかけて燃やした。1942年ドイツとソ連の戦争は激化していた。

赤軍の女兵士イリーナは女性狙撃兵訓練校にセラフィマを連れて行って狙撃兵として訓練した。最高司令部予備軍所属の狙撃兵旅団、第39独立親衛小隊が誕生した。そして最初の実践投入先がスターリングラードの都市を奪還するための攻防戦へ出陣した。作戦名はウラウス作戦。自国において敵に包囲された都市を、さらに敵もろとも逆包囲するという反抗作戦だった。ソ連軍は完ぺきと言える成功を収めた。1943年末、未だ戦争の終わりは見えなかった。セラフィマたちは次なる戦いへと駆り立てられていった。1945年4月。ドイツ語で「王の山」を意味する古都・ケーニヒスベルクを陥落させる命を受け、突撃する歩兵たちを狙撃兵が援護する接近戦に参加した。ここで母の仇・イェーガーと敵対することになった。

戦場でセラフィマは看護師ターニャと出会った。ターニャは、自らの家族を殺され、敵を憎まず、それどころか治療する生き方をしていた。ドイツ軍に勝ち第39独立親衛小隊は解散した。1979年イワノフスカヤ村にセラフィマとイリーナが「裏山の魔女」と言われ暮らしていた。

改めて戦争とはこういうものだということを知った。それがすべてだ。戦争に反対しても敵は理屈をこねて犯罪を犯す。


共通テーマ: