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読書を楽しむ「ヴィンセント・スターレット 笑う仏」

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1930年代後半の日中戦争直前の北京

丘の上の古寺に外国人居住者が週末のパーティに招待されていた

招待されたのは13人の男女

その夜、寺全体が静寂に包まれた頃、突然女性の悲鳴が響いた

招待客のひとりコペンハーゲンの東洋博物館の

女性助手ミス・コルキスが絞殺された 

パーティはアメリカ人の中国美術展の経営者ケイトが北京に住んでいる外国人を招待して行われた。招待客の中にアメリカ人のアマチュア探偵ホープ・ジョンソンがいた。彼はある大使館のお茶会で知り合ったローラ・ピリグリムを介して招かれていた。ケイトは寺を別荘として借りてナイトクラブに改装した。お堂はリビングルームにした。翌朝、中国警察のアン警部が寺を訪れリビングルームで聞き取り調査を開始した。アメリカ人の博物館の学芸員エリス・サーストンがミス・コルキスに結婚を申し込んでいた情報を得る。寺の通路には太鼓腹の弥勒菩薩(別名:笑う仏)が鎮座していた。寺の周辺には別の寺があり、そこには”笑う仏”そっくりの宦官のファンが住んでいた。ミス・コルキスは中国古代の磁器ついて詳しい研究者だった。エリス・サーストンはアメリカ人の探偵小説家ハワード・ピルグリムと一緒に寺を訪れ、自分が誰かから追いかけられ、荷物を探られているとパーティの席で話していた。ミス・コルキスの部屋も最初はサーストンが泊まる部屋だった。ハワードの運転でサーストンが一緒にホテルへ向かった時に中国人が車の前に飛び出し事故を起こした。ハワードは車から降りて被害者を救護し集まってきた人々に医者を呼んでくれと頼んだ。車に戻るとサーストンの心臓に短剣が突き立てられていた。彼の指から指輪が消えていたが現金は手つかずだった。やがて2つの事件の疑いの目は中国人に向けられた。サーストンは英国人の探検家タターシャルと考古学や古物収集で興味の対象が同じだった。そしてタターシャルが安陽市の遺構から発掘された青銅器に興味を持っていたことを掴む。青銅器は中国で一番価値があるものだった。サーストンもドイツ人の伯爵夫人から5年間で出土品をたくさん買っていた。

最初の殺人事件は動機が不明のままだった。2人目の殺人が起きて青銅器の話が出てきて1930年代という時代背景と発掘品が高く売れるという儲け話の市場があることを探偵ホープ・ジョンソンが掴んだが3人目の犠牲者が出てしまった。ローラの叔父のハワードが短剣で刺され死んだ。

話の流れとしては一気読みできる内容で定価3000円の価値がある面白さでした。


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