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Primevideoで映画を楽しむ「ラスト・パーティー」

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高校卒業の記念にリゾート地を訪れた若者たちだったが

クラスメートが謎の殺人鬼によって1人ずつ殺されていく

ついに高校も卒業。授業もない! お祝いだ! 多くの若者たちが卒業シーズンを楽しむリゾート地へ向かったジュリアとクラスメイトたち。だが、それが悪夢の始まりだった。リゾート地でパーティー三昧のジュリアだったが、ひょんなことから親友のジェシカとケンカをしてしまう。翌朝、部屋で目を覚ますもやはりジェシカは帰っておらず、代わりに「×」マークのついた顔写真がスマホに届く。さらにその夜のパーティーで、今度はもう1人のクラスメートが仮面の男に襲われ殺されてしまう。そこでも「×」マークのついた顔写真が…。次々と襲われるクラスメイトたちと、その後に届く謎の写真。殺人鬼の正体は…!? なぜ私たちが襲われる…!? 恐怖のパーティーが今、始まる。(DVDストーリーより抜粋)

オーストリア映画。2年前のサマーキャンプに参加したひとりの女子高生が転校した後で自殺したことをパーティー参加者は忘れていた。そして、殺人鬼は忘れたころにやってくる。iPad Primevideo


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2022年8月27日(土)熱中症警戒アラートが出た

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スタンドパイプ放水や防災グッズの作成や土嚢つくり体験

災害時に活躍する警察や消防車両の展示

ドローンの演習実施などの

防災イベントがアラート発令で中止になった

夏は感染症拡大以外でもイベントが中止になるんだと知り急なことで驚いた。

朝起きたらエアコンを入れた。朝から猛暑日の予感がした。血圧を測り、朝食をつくりニュースを観ながら細君と食べる。新聞を読んでから11月の旅行の一人当たりの予算額を計算する作業をした。旅行雑誌から拝観料や入場料を確認した。観光地の観光案内図をネット検索し印刷した。ケーブルTVでアニメ映画を観た。

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暑いけど買い物に細君と出た。昼食は家でざるそばを食べた。おはぎも食べた。

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午後細君は科捜研の女を観ながら過ごした。わたしは高血圧の勉強。

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晩酌して、野菜カレーを食べ、大曲の花火大会をBSで見物した。2008年には現地で見物した。

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風呂に入り、血圧を測り、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。8/26時点の実効再生産数は1.01で地元の感染者は222名。神奈川県では40代と50代が亡くなった。

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 明日は朝から雨らしい。



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読書を楽しむ「楡 周平 終の盟約」

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回復する見込みのない人間が本人の意思にかかわらず

死を迎えるその時まで生き続けなければならない

状況に追い込まれることがある

認知症はその最たるものだ

認知症介護の現場では様々なことが起きる

往時の姿を知る人は、そこに自分の最後の姿を重ね

「こうはなりたくない」「こんな姿で生き続けたくない」と思う

藤枝久は自由が丘で内科のクリニックを開業していたこともあったが今は引退して2世帯住宅に住んでいる。久は3年前に妻を亡くしていたので息子・輝彦の妻・恵子が食事の支度を用意していた。輝彦は川崎でクリニックを開業していた。順調に回っていた人生が狂い始めたのは久の妻が亡くなったのがきっかけだった。そして久は認知症を発症し、輝彦が父のアトリエに入り目にしたのは、絵を描くのが好きだった父親の作品は裸婦と男女の性交を描いたものばかりだった。裸婦は妻の恵子に似ていた。

輝彦は父と先輩と後輩の仲だった宅間クリニックを訪問し父が認知症になったことを告げた。輝彦は父から「万が一、自分に認知症の症状が見られたときは宅間さんに相談しろ」と言われていた。そして、認知症と診断された場合についての事前指示書を渡されていたことを話した。指示書には延命治療は拒否する。死期を早めることになっても構わない、苦痛を和らげる治療だけをして欲しいと書かれていた。認知症は死を迎えるその時まで、症状が悪化していくだけで、患者に回復の見込みがなくても自然死を待つしかない。安楽死は患者を一刻も早く苦しみから解放し死を迎えさせてあげることができるが日本では安楽死は認められていない。自分の人生の最後を時を考えるとどうなんだろうと宅間は一言言った。

藤枝久は宅間のところでは検査に限度があるため杉並中央病院の馬淵院長を紹介され入院した。病院は介護施設を併設していた。馬淵と藤枝は大学が異なるが絵の趣味で親交があった。馬淵は藤枝と盟約を交わしていた。そして、その約束を果たさなければならないときがやってきた。

病院から輝彦に電話があり病室を巡回していた看護師が、藤枝久の呼吸が止まっていることに気づいて、当直の医師が駆け付けたが心臓が停止していたと言った。死因は虚血性の心疾患で一般的には心不全と言われていた。

藤枝家の当主が亡くなったことで遺産の話が浮上する。相続人はふたりで輝彦と弟の真也だったが真也の嫁・照恵はお金に関して輝彦の家ほど経済的な余裕がなく息子も大学の臨時職員で雇止めを宣告されていたため遺産分割に不満を持っていた。照恵の友人の看護師・美沙は久が亡くなった病院に勤務していたことがあり、照恵から亡くなった話を聞かされ5年前にも同じようなことが起きていたと言った。照恵の母親は弟夫妻が面倒を見ていたが施設に入ることになり照恵に資金の援助を依頼してきた。照恵は久の死因がおかしいという疑問に友人の美沙がフリーのジャーナリストを紹介し照恵の思いもしない状況に久の死因がクローズアップされた。

安楽死が許されない日本で認知症に身内がなり、患者本人が早く苦痛から解放されたいと思っても自然死を待つことしかできない現状にどうあるべきかと課題を投げかけている。認知症患者を経済的に支えることが誰でもできることではなく、在宅介護であってもその負担は家族に重くのしかかる。

高齢になるほど認知症は避けられない。身内の問題として認知症患者がひとりでも発生したら行き場のない壁にぶち当たり、誰にも告げずに家の中で静かに死を待つしかないのかも知れない。願いが叶うのであれば年金を国に差し出し面倒を見てもらうしかない。


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